■大分県吹奏楽連盟 沿革資料
九州吹奏楽連盟 創立20周年記念誌 より(昭和50年)
県連結成の過程について(本母大二郎)
 昭和37年夏、岡山国体開会式の模様がテレビで放送された。高らかに響くファンファーレ、続いて800名による吹奏楽団の演奏、私は、筆舌につくすことのできない感動を覚えると同時に、表わしようのない焦燥感におそわれた。4年後に開催される大分国体の準備はすでに動き始めていたが、果たして吹奏楽団の結成はどうなるのであろうか。県下に吹奏楽団はいくつあるのか、その実態もわからなかった。私は友人である楽器店関係の安藤氏と顔を合わせる度に話しあった結果、国体準備委員会に直接相談に行くことにした。しかし、委員会としてはまだその段階ではないし、また、吹奏楽のことに関しては委員会として働きかける筋ではないとのこと、まず組織を作ってその後に再度協力を申し出てほしいとのことだった。とりつく島もない気抜けした気分であった。折も折、朝日新聞に問い合わせたところ、大分県には数年前まで吹連らしきものがあったことを知り、当時世話をされていた久末氏と連絡がとれた。それによると、県下で吹連加盟しているのは3団体あったわけで連盟そのものが有名無実であった。さっそく県下の中・高校ほぼ全校と職場の中で編成してあるとの情報を得た団体に対し、吹連の必要性、国体時の吹奏楽団の重要性を呼びかけるパンフレットを準備し、編成の有無、今後編成の動きがあるかどうかの調査をはじめたものである。私の呼びかけは確たる組織があるわけでないし、知名氏の後楯もないので、すこぶる弱者の遠吠えのようで不安でならなかった。しかし、県庁の中野氏、大分国鉄榊氏の強力な賛同とご協力を得、県下から編成のある団体からの返事が届けられた。この時ばかりは胸の鼓動の高まりを押えることができなかった。
 そして大分県吹奏楽連盟の発足(正式には再発足)は1年後の昭和38年5月8日、当時碩田中学校長の田所正義氏によって提唱された。勿論その中心となったのが山香中学校の古屋敏勝氏であったことを特記したい。

大分支部のあゆみ

1.大分県吹奏楽連盟の推移
(年間行事)
 吹連大分支部での年間行事は、毎年5月又は6月に開催する年1回の総会、8月に実施する県吹奏楽祭(コンクール県予選を兼ねる)と10月に西部吹連で開催する西部吹奏楽コンクールの参加である。この他には「特筆すべき活動」の中で述べた行事である。
○コンクール参加状況
 昭和37年を第1回とする吹奏楽祭(コンクール県予選をかねる)から49年までの間に、参加団体をみるとS37・14、S38・15、S39・20、S40・25、S41・26、S42・25、S43・29、S44・17、S45・27、S46・22、S47・17、S48・19、S49・21のとおりで、結成から大分国体(41年)までは徐々に増加、国体開催の翌年の29団体をピークに下降をたどり、最近は、ほぼ20団体前後の参加である県としては技術的に序々に向上してきたが、西部段階では依然として、上位入賞は実現できていない。
○特筆すべき活動
 吹連大分支部が昭和37年9月9日に結成されてから今日まで13年間における特筆すべき活動としては、昭和38年のパレードと野外演奏会、翌39年の九州横断道路完成祝賀会パレード、41年の夏と秋に開催した大分国体の参加、47年芸術祭の開幕行事として行った県民吹奏楽演奏会、さらにこれに続く48年49年50年の県民吹奏楽地方版、50年フェスピックの吹奏楽協力である。
 なお、この他にも、自衛隊中央音楽隊や、今津中学、中央講師を招いての講習会、吹連九州関係指導者や、県内指導陣における、巡回指導・ブロック別講習会も活発に実施した。この中でも特に目立った活動は、「大分国体」での780人の中学・高校・職場・自衛隊・県警音楽隊による大演奏会と、中学生100人のチームと、高校生と社会人100人による県民吹奏楽の合同演奏である。
(中野 記)

2.県吹連の現状と問題点
 県下における吹奏楽の現状は、必ずしも盛況であるとは言えないにしても、県吹連を中心として、まずまずのまとまりをみせている。しかし、現在県吹連が直面している問題点一つある。それは各団体が「県吹連に加盟してどれ程のメリットがあるのか」と言う事である。これは連盟を運営していく上で重要であり、のがれることの出来ない問題点でもある。もちろん、連盟がすべての加盟団体に対して満足のいく運営、サービスを行う事は不可能でもある。しかし、どの加盟団体い対しても平均的な最低線のメリットを与えなければ、組織の維持も拡大もはかれないのである。極端な言い方をすれば、連盟がコンクールのみの実施機関であれば、眼前で空中分解するのである。
 そこで大分県吹連も組織体制の在り方についてしんけんに取り組み始めたのはごく最近の事でもある。
  1.連盟事業の責任範囲体制の明確化
  2.各種事業の整備と充実化
  3.広報活動の強力推進
  4.各行政機関との連けい強化 等である。

 まず、手始めに従来のブロック講習会の他全県的なパート別講習会の実施、コンクールと吹奏楽祭、その他フェスティバルの独立した運営、年間通じた数多い行事を企画、実施していこうと、役員一同ハッスルしている今日、この頃である。(工藤 記)
全日本吹奏楽連盟創立40周年記念誌より(昭和53年)
[ 大 分 県 ]   (安倍 孝次)
1.推移と活動状況
○年間行事
 吹連大分支部での年間行事は、毎年5月または6月に開催する年1回の総会、8月に実施する県吹奏楽祭(コンクール県予選を兼ねる)と10月に西部吹連で開催する西部吹奏楽コンクールの参加である。

○コンクール参加状況
 昭和37年を第1回とする吹奏楽祭(コンクール県予選をかねる)から49年までの間に、参加団体をみると、S37・14、S38・15、S39・20、S40・25、S41・26、S42・25、S43・29、S44・17、S45・27、S46・22、S47・17、S48・19、S49・21のとおりで、結成から大分国体(41年)までは徐々に増加、国体開催の翌年の29団体をピークに下降をたどり、最近は、ほぼ20団体前後の参加である。県としては技術的に序々に向上してきたが、西部段階では依然として、上位入賞は実現できていない。

○特筆すべき活動
 吹連大分支部が昭和37年9月9日に結成されてから今日まで13年間における特筆すべき活動としては、昭和38年のパレードと野外演奏会、翌39年の九州横断道路完成祝賀会パレード、41年の夏と秋に開催した大分国体の参加、47年芸術祭の開幕行事として行った県民吹奏楽演奏会、さらにこれに続く48年49年50年の県民吹奏楽地方版、50年フェスピックの吹奏楽協力である。
 なお、このほかにも、自衛隊中央音楽隊や、今津中学、中央講師を招いての講習会、吹連九州関係指導者や、県内指導陣における、巡回指導・ブロック別講習会も活発に実施した。この中でも特に目立った活動は、「大分国体」での780人の中学・高校・職場・自衛隊・県警音楽隊による大演奏会と、中学生100人のチームと、高校生と社会人100人による県民吹奏楽の合同演奏である。
2.県吹連の現状と問題点
 県下における吹奏楽の現状は、必ずしも盛況であるとは言えないにしても、県吹連を中心として、まずまずのまとまりをみせている。しかし、現在県吹連が直面している問題点一つある。それは各団体が「県吹連に加盟してどれ程のメリットがあるのか」と言う事である。これは連盟を運営していく上で重要であり、のがれることの出来ない問題点でもある。もちろん、連盟がすべての加盟団体に対して満足のいく運営・サービスを行う事は不可能でもある。しかし、どの加盟団体い対しても平均的な最低線のメリットを与えなければ、組織の維持も拡大もはかれないのである。極端な言い方をすれば、連盟がコンクールのみの実施機関であれば、眼前で空中分解するのである。
 そこで大分県吹連も組織体制の在り方についてしんけんに取り組み始めたのはごく最近の事でもある。
  1.連盟事業の責任範囲体制の明確化
  2.各種事業の整備と充実化
  3.広報活動の強力推進
  4.各行政機関との連けい強化 等である。

 まず、手始めに従来のブロック講習会の他全県的なパート別講習会の実施、コンクールと吹奏楽祭、その他フェスティバルの独立した運営、年間通じた数多い行事を企画、実施していこうと、役員一同ハッスルしている今日、この頃である。

3.歴代役員
年度支 部 長
(会  長)
理 事 長
(本部理事)
事務局長事務局
37古屋 敏勝久末  知
ハマダ楽器店
38田所 正義久末  知
松村楽器店
39田所 正義久末  知
松村楽器店
40都留 常慶久末  知
松村楽器店
41都留 常慶久末  知
王子中学校
42安部 俊郎糸永 信義安部 哲雄王子中学校
43安部 俊郎糸永 信義安部 哲雄王子中学校
44小野 信一糸永 信義安部 哲雄王子中学校
45和田 政見糸永 信義安倍 孝次浜脇中学校
46和田 政見糸永 信義藤内ますみ浜脇中学校
47和田 政見糸永 信義長野  守浜脇中学校
48和田 政見糸永 信義長野  守山の手中学校
49和田 政見糸永 信義長野  守山の手中学校
50和田 政見糸永 信義中野 幸和アンドー楽器


4.現在の加盟団体数
  小学校   1団体
  中学校  18団体
  高等学校  8団体
  大学    1団体
  職場    4団体 
  合計   32団体
九州吹奏楽連盟創立30周年記念誌より(昭和60年)
[ 大分支部 ]   (支部長 安倍 孝次)
脱皮を図る大分支部
 久しく弱小支部・発展途上支部の位置に甘んじてきた我が支部も近年どうやらその汚名を返上できそうである。役員はもとより、全ての指導者、関係者が一丸となって、先進支部に「追いつこう」「追いこそう」を合言葉に懸命な努力を重ねているところである。
 このことを、ここ5.6年ふりかえりながら、今、我々が推進していることをつづってみたいと思う。

1)組織の改革
 まず、連盟の組織を九吹連にならって次のように改革し、実務的な常任理事制を強化した。

(組織図)

 以上のように改め、1人が1役を責任をもって果たすことになり、連盟の推進意識が高まってきた。

2)連盟加盟数の増加
 やっと我が支部にも若い指導者が増加してきた。
大分市の中学校を中心に、女性を含めて、弦楽器の奏者や、声楽を学んで若手の先生が、進んで吹奏楽の指導を行うようになった。これにより、連盟に加盟する団体が増加しており、更に吹コンの参加数増加となって表れ、お互いにライバルとしての気概が火花を散らすようになり、激烈な闘志むきだしのコンクール参加となって混戦状態をつくりだしてきているのである。今や、戦国時代の一様相を呈したといっていいだろう。
 高校の部においても、年々部が生まれ、加盟数が増加している。これはやっと高校現場の管理職に吹奏楽活動の何たるかが認識されてきたことへの表れであろう。その一つの例が、何十周年記念行事の一環に吹奏楽器を購入し部をつくったと言う話である。
 大変嬉しい話であるが、一方、中学に比べて指導者の数が不足しているという深刻な現実がある。楽器は購入されたものの運営は専門外で、やむを得ず受けもたされている顧問教師が行い、演奏活動は生徒自信の手でと言う学校がかなりある。管理職は、楽器をとりあえずあたえれば、すぐにも演奏活動ができるものと思い、あげくに楽器は永久に楽器として使えるものと信じ、維持費の面倒などはまったく見ないという学校すらあるのである。
 しかし、中学の時「火」をつけられた生徒は、高校においても更に燃え広がっていくだろうし、更にその中から指導者が生まれてくるのである。いや我々はむしろ育てなければならないのであり、この人材発掘こそ明日への大分支部を発展させる基になるのである。
 今や、中学の熱気は、やがて何年かの先の、大分の華麗な吹奏楽活動となって花開くことであろう。
 そういった意味で、今、大分支部はやっとそのサイクル回転の緒についたといえるのである。

3)アンコン参加数増加
 アンコンに対する認識がやっと深まり、年々参加するチームの増加と一途をたどっている。
 まだ、一校に対して出場制限はないが、今年度の参加数が総数合わせて90数団体になったことを考えると、二日制をとるか、出場制限にするか早急に決めなければならなくなった。

4)他団体との協調
 吹コン・アンコン・フェスティバルの三つの行事について、高校の部では高文連(大分県高等学校文化連盟)、中学校では県音研(大分県音楽教育研究会)の共催をお願いしている。学校現場において吹奏楽が認識され初めているのも、案外、この二つの団体との提携が作用しているのかもしれない。
 以上、このような事はとうの昔にすませ、今や隆々と発展している他の先進支部にしてみれば、何を今更との感が大でありましょうが、今の我が支部のこれが偽りのない現実である。しかし、遅々とした牛の歩みに似てはいるが、一歩一歩たゆみなく前進を続けたいと念願している。
全日本吹奏楽連盟創立50周年記念誌より(昭和63年)
[ 大 分 県 ]   ( 糸永 信義 )
1.発足・結成の経緯
 昭和41年に大分国体の開催が決定してから県下、特に別府・大分を中心とした中学・高校に吹奏楽部をつくる機運が高まり、行政の指導、国体開催に伴う補助金の交付等がきっかけとなり、当時入場行進に800人編成の吹奏楽団結成を目標とし漸次充実してきた。
 そして、県としては昭和37年に第1回コンクール(西部吹奏楽コンクール県予選をかねる)を開催し同年9月9日に大分県吹奏楽連盟、西部吹奏楽連盟大分支部を結成した。

2.推移と活動状況
 最初の昭和37年第1回吹奏楽祭はわずか14団体の出場であった。その後、昭和42年25団体、昭和43年29団体と徐々に加盟団体が増えたが、その後やや低迷が続いた。これは国体を目標に急激に活発な演奏活動が続いたため、国体終了とともにその反動としてやや情熱の欠如と指導者たち自身の活動に迷いが生じた結果にほかならない。
 しかし、昭和50年頃から若い指導者が増えはじめ、大分の中学校を中心に女性を含めて弦楽器の奏者や、声楽を学んだ若手の教師たちが進んで吹奏楽に取り組み、自己研修をしながら団体の指導にあたるようになった。
 これにより、加盟団体も増え、コンクール参加団体も年々増加することになる。
 昭和52年は20団体であったが、その後徐々に増え、51年には37団体、60年47団体、今年度(62年)には49団体という大分県にとって過去最高の出演団体数を数えることになる(加盟も過去最高の61団体)。
 それにつれてお互いのライバル意識が生まれ、コンクールの県代表権を目指して各団体とも並々ならぬ練習を続けることになった。
 しかし、残念なことには県代表団体が九州大会へ出場しても上位入賞の壁は固く、昭和55年頃までは銀賞すら受賞できなかった。
 その後、昭和57年度に大分高校が大分県として初の金賞を受賞して以来、各団体にも励みが生まれ、良い意味での競争心とライバル意識が年々演奏効果をあげ、かなり優秀な成績を上げる団体が増えた。
 その中でも全国的に珍しい小学校部門で日田市立日隈小学校が70名の金管バンドで出場し、九州吹奏楽コンクールで金賞を獲得したことは県吹奏楽歴史に新しい1ページを加えたことになる。
 そして、昭和50年以来のアンサンブルコンテストにも金賞受賞チームが続き、昭和62年度第13回九州アンサンブルコンテストに大分市立明野中学校サキソフォーン四重奏が金賞を受賞、さらに県勢としては初の九州代表の栄冠を手にいれた。これは大分県吹奏楽界にとってはたいへんな出来事であり、今後他団体、チームに及ぼす影響は多大であり特筆すべきことである。

 県連の年間行事としては、毎年5月の総会、8月の吹奏楽祭(九州吹奏楽コンクール県予選をかねる)が中心であるが、その他に10月〜11月実施の県芸術祭参加の吹奏楽フェスティバルと実技講習会、課題曲研究会等が定例化され、年々参加者も増加の傾向にあり定着化してきた。
 これに63年からは、今まで推薦出場であった九州マーチングコンクールの代表権も、県マーチングフェスティバルを実施し、県予選とすることにした。
 特筆される行事としては、昭和38年の初の試みであったパレードと野外演奏会、翌39年の九州横断道路完成パレード、41年夏と秋に開催した大分国体、47年芸術祭の開幕行事として行った自作の県民吹奏楽演奏会、これを契機に翌年から会場を県内各地へ移して実施した県民吹奏楽地方版、50年のフェスピックへの協力演奏などは思い出に残る県吹奏楽史を飾る出来事であった。
 また、昭和54年からOBS大分放送と協力主催行事となったマーチングフェスティバルは、8月の夜を彩る大分球場の名物行事として話題を県民に提供している。
 なお、県吹連を円滑に運営するため、現在組織表を下図のように改革し、各自が責任をもって活動するように努力している。

(組織図)

3.現状と問題点
 県下における吹奏楽の現状は必ずしも盛況であるとはいえないにしても、まずまずのまとまりと活気を呈している。
 毎年のように言われる「県吹連に加盟してもコンクールに参加するだけでメリットがない」の声を解決するにあたっては、下記行事を確実に実施し、その中で連帯感と意識の高揚を図る以外にないとし、常任委員会を数多く開催し、たえず情報交換の場を提供しつつ、それぞれの役に責任を持って活動を推進することにしている。
  1.連盟事業の分担と責任範囲体制の明確化
  2.各種事業の整備と見直し、充実
  3.広報活動の推進、会報の発行
  4.他団体との連けい強化
  5.その他
 中でもブロック別講習会には特に力を入れ、セクション別に中央から指導者を招いて実現できる体制が整った。
 このようにしても、他支部、県連に比べて加盟団体が少なく、九州大会参加にしても今一つ気勢があがらない。
 今後は、未加盟団体の勧誘を啓発活動の重点事項として、現在小規模ながら金管バンドまたは吹奏楽部をかかえている団体・学校に強力な働きかけをつづけているところである。

4.歴代役員
年度支 部 長
(会  長)
理 事 長
(本部理事)
事務局長事務局
37古屋 敏勝久末  知
ハマダ楽器店
38田所 正義久末  知
松村楽器店
39田所 正義久末  知
松村楽器店
40都留 常慶久末  知
松村楽器店
41都留 常慶久末  知
王子中学校
42安部 俊郎糸永 信義安部 哲雄王子中学校
43安部 俊郎糸永 信義安部 哲雄王子中学校
44小野 信一糸永 信義安部 哲雄王子中学校
45和田 政見糸永 信義安倍 孝次浜脇中学校
46和田 政見糸永 信義藤内ますみ浜脇中学校
47和田 政見糸永 信義長野  守浜脇中学校
48和田 政見糸永 信義長野  守山の手中学校
49和田 政見糸永 信義長野  守山の手中学校
50青田  章糸永 信義中野 幸和アンドー楽器
51青田  章糸永 信義中野 幸和アンドー楽器
52青田  章糸永 信義中野 幸和アンドー楽器
53脇屋 秀雄糸永 信義中野 幸和アンドー楽器
54脇屋 秀雄安倍 孝次工藤 紘喜アンドー楽器
55脇屋 秀雄安倍 孝次工藤 紘喜アンドー楽器
56佐藤 和秀安倍 孝次工藤 紘喜アンドー楽器
57佐藤 和秀安倍 孝次工藤 紘喜アンドー楽器
58首藤 文人安倍 孝次工藤 紘喜アンドー楽器
59首藤 文人安倍 孝次工藤 紘喜アンドー楽器
60首藤 文人安倍 孝次工藤 紘喜アンドー楽器
61河村  久安倍 孝次工藤 紘喜アンドー楽器
62吉野 昭典糸永 信義斉藤 哲哉アンドー楽器


5.現在の加盟団体数(63年度)
  小学校   4団体( 3)
  中学校  28団体(23)
  高等学校 22団体(18)
  大学    2団体( 1)
  職場    3団体( 1)
  一般    7団体( 3) 
  合計   66団体(49)

※( )内はコンクール参加数
九州吹奏楽連盟創立35周年記念誌より(平成2年)
[ 大分支部 ]   (支部長 糸永 信義)
−昭和から平成へ−
 この歴史時代の転換期は、大分県吹奏楽連盟にとっても活動的でこれから先の飛躍を図る充実し期待する年であった。

1.講習会の充実
 昭和63年度に大分高校の各教室を借りて、県内指導者によるパート別講習会を実施したが、意外に好評で第2回目の平成元年度は県内各地から小・中学生をはじめ高校生・大学生を含めて428名の参加者があった。ところがパートによっては人数が多すぎたり受講する側に技術の差があったりして指導者・受講生共に不消化の状態をきたしたので、平成2年度は入部して初めて楽器を持つ生徒のみにしぼったところ参加者は100名程度減ったが内容的には充実した。今後は指導者を増やして定着したいし、会場を巡回し県内各地域でも広く実施したい。
 その他、楽器別に専門家を招いても実技講習会やマーチング講習会、NHKと協力して一流指揮者(山下一史氏)による指揮法のクリニックなどが参加者も多く毎年実施できる体制が整った。

2.課題曲講習会とディレクターズバンドの結成
 学校の体育館で中学生・高校生をモデルバンドに現場教師の指導で実施していたが、平成元年度から大分文化会館に移し中央から指導者を招いて実施した。平成元年度は関西から丸谷明夫先生・平成2年度は埼玉から信国康博先生を招き、受講者も1300人近く参加し盛大であった。なお著名指導者を迎えるにあたり、県警察音楽隊を主体に県内学校関係者・芸短OB等で編成したバンドが定着してきたので将来は明るい。健全な運営を今後共続けていきたい。
 県吹連としては、この機会にディレークターズバンドとしての体裁を整え、今後課題曲講習会は勿論のこといろんな形で県吹連発展のために活躍してほしい希望し期待している。

3.九州代表として全国大会へ
 昭和63年度に小学校の部で日田市立日隈小学校が盛岡市での全日本小学校バンドフェスティバルに九州代表として出場、アンサンブルコンテストでは、昭和62年度に大分市立明野中学校サキソフォーン四重奏が広島で全日本大会へ、昭和63年度には日出町立日出中学校打楽器七重奏が福井市での全日本大会に出場して金賞受賞、続いて平成元年度には佐伯市立鶴谷中学校吹奏楽部が夏の吹奏楽コンクールで初の中学校の部代表に選ばれ(昭和50年度に職場の部大分県庁職員吹奏楽団が札幌での全日本大会へ)東京普門館での全日本大会で銀賞を獲得し、県吹連関係者はかってない快挙と意を強くした。このことがこれから先の県吹連発展と活動に大きな自信になるものと期待している。

4.県吹連今後の課題
 県吹連としては、現在加盟団体数70数団体と低迷している。(徐々に増えつつある)特に小学校部門が4団体と少なく、その他を含めた未加盟団体への加入促進が早急の問題としての努力点である。運営面では、各常任理事の責任分野がはっきりし諸行事への協力体制が整い、経理の面でも各事業が確立定着してきたので将来は明るい。県芸術祭メイン行事への参加と吹奏楽フェスティバル定着へ目標達成へ向けて努力を傾注したい。
大分県吹奏楽連盟 30周年記念誌より(平成4年)
 大分県吹奏楽連盟の生い立ちは確固とした記録はなく定かではないが、昭和41年の大分国体にむけて大分・別府市内を中心に開会式に演奏する約800名を目標とした大吹奏楽団の編成にある。当時昭和36〜7年頃は先進地の国体開催県が派手に華やかに演奏し、その華麗な開会式の模様がテレビに写し出されて果たして大分で同じようなことが出来るのか?いやそれ以上負けない立派な大編成をしなければとあちこちでかまびすしく論議を重ねたものです。そして昭和37年に本母大二郎氏やアンドー楽器社長安藤擴氏、久末知氏、県庁の中野幸和氏、国鉄の榊久男氏、田所正義氏らが吹奏楽活動の実態を調査しながら昭和38年5月8日当時山香中学校校長の古屋敏勝氏を初代会長に推挙し大分県吹奏楽連盟が再発足した。(正式には昭和37年9月9日に結成された)

1.大分県吹奏楽コンクールの記録から
 創立は昭和37年でこの年は大分県体育館で「第1回大分県吹奏楽祭」を開催し、中学校6校、高校4校、職場4チームの計14団体が出場。この時、全日本理事で延岡旭化成の指導者谷村正光先生をお迎えして「海兵隊」の合同演奏をしている。当時としては画期的なことではなかったでしょうか。なお、九州のコンクールには代表を送らなかったようです。九州コンクールには、それ以前に34年度第4回大会(熊本市立体育館)に中津中学校(指揮桑島哲先生)が出場しているが、恐らく自主出場で今考えると桑島先生率いる中津中学校は大分県吹奏楽連盟のパイオニアと言える。第2回から部門別に代表を送っている。課題曲が制定されたのは第3回大会(別府国際観光会館)からで、その曲目も今では懐かしい中学校が序曲「曠野を行く(石井歓)」、高校以上が「若人の歌(兼田敏)」でした(参加団体20団体)
 九州吹奏楽コンクールも幾多の変遷を経て現在の形をとっているが第13回(大分7回)から第18回(大分11回)までコンクールがAの部・Bの部と2部制で大分支部からもそれぞれ代表を送り健闘している。以後Bの部は無くなったがいま、小編成のバンドを育成する目的から全国でもB・C、場合によってはDの部までも採用しようという空気がある。
 なお、大分県吹奏楽連盟からの参加は、昭和40年−25団体、昭和45年−27団体、昭和50年−16団体、昭和55年−25団体と、この年度まで参加団体も少なく、やや低調の感もあったが昭和56年度から増加を続け、昭和60年度には47団体、平成2年度には55団体、平成3年度には68団体を数えるに至り従来の2日間では消化出来ずに3日間に延長することを検討するようになった。

2.コンクールにおける県代表の活躍
 毎年のコンクールには県の予選を経て代表が選出される。各コンクール共当初は県内の著名な音楽指導者・教師を審査員にお願いして実施していたが、県内3人・県外2人計5人それに楽器別・作曲・評論等の専門性を考慮して依頼していた。昭和57年第27回コンクール頃から5名全員を県外から来て頂くようになり、最近はその範囲も関西域は1名については関東からも適任者がいれば依頼するようになった。
 県代表の各団体もコンクールでは他支部に後れを取り、なかなか銀賞をとることすら至難な時期が続いたが、団体数が増えてお互いに研修する機会が多くなったせいか九州大会でその成果が現れてきた。
 職場代表で、大分県庁職員吹奏楽団は昭和50年度に九州代表として札幌の全日本大会へ出場した記録がある。昭和63年度に日田市立日隈小学校が盛岡市での全日本小学校バンドフェスティバルへ初出場、昭和62年度のアンサンブルコンテストでは大分市立明野中学校のサクソフォーン四重奏が広島での全日本アンサンブルコンテストへ、昭和63年度のアンサンブルコンテストでは、日出町立日出中学校の打楽器七重奏が福井市での全日本アンサンブルコンテストへ九州代表として出場し、見事に金賞を獲得するという快挙を成し遂げ、県吹奏楽連盟の関係者は県連のレベルも九州で高く評価されるようになったと胸を張ったものです。

3.その他の活動状況
 昭和56年10月25日(日)に西部吹奏楽祭大分大会(現九州吹奏楽連盟の前身)として大分文化会館で吹奏楽祭を実施し、県内小・中・高等学校の代表を始め熊本・福岡両県からゲストが参加しステージドリルもあって華やかな演奏会であった。
 県吹連30周年の歴史の中で、最も大きな事業は大分県芸術祭の開・閉幕行事に参加したことである。開幕行事は昭和47年10月1日「県民吹奏楽」というタイトルで指揮者に武蔵野音楽大学のジェームス・バータル氏を迎え大分・別府を中心に特別編成のバンドで「交響曲新世界」第T、U、W楽章を演奏した。
 閉幕行事では、昭和53年11月に大分大学田村洋彦氏に作曲を依頼し「大分を歌う」というタイトルであはり特別編成のバンドで場所は大分県立芸術会館であったが大々的に壮大な演奏会を行った。
 開幕行事で成功をおさめたことが次年度から各地を回って吹奏楽フェスティバルを開催するきっかけになった。
 また、昭和50年11月16日(日)には、大分県芸術祭参加行事として大分県吹奏楽フェスティバルを別府国際観光会館で開催、中学校の合同演奏があったり、「みんなでうたおう」のコーナーがあったりして楽しい演奏会であった。なお、次の年昭和51年10月31日(日)には、大分文化会館で第2回として大分県吹奏楽フェスティバルを実施、小・中・高・職場・一般の9団体が出場し、特に大分城東中学校は合唱クラブと吹奏楽で「タンホイザー大行進曲」を高らかに歌い上げ喝采を博した。

4.その他の連盟活動
 5月初旬中学校・高等学校の新入生・初めて楽器に接触する生徒を対象にした「初心者講習会」は、学校の教室を借りて連盟役員を中心に県内演奏家を講師として昭和63年度から実施、毎回300名前後の受講生を集め定着し盛況である。
 また、昭和63年度から始めた「課題曲講習会」は、平成元年度からは大分文化会館を会場に借りて実施、指導者も関西の丸谷明夫氏や埼玉の信国康博氏、千葉の加養浩幸氏など全国的に著名な現場の教師に指導をお願いした。平成元年には、県警察音楽隊を中心に県内教師・芸短大出身者などで「ディレクターズバンド」を編成したが、今後連盟の発展を図る上で重要な指導的立場になって欲しい。その他楽器別に実技講習会を開催したり、クリニックを企画したり、随時大分県吹奏楽連盟主催、または後援事業として積極的に取り組んでいる。その中でもNHK・合唱連盟と共催で始めた「指揮者セミナー」は、講師に若手指揮者で最近第一線で活躍中の山下一史氏を毎年迎えて実施しているが、内容の密度の濃いセミナーとして定着し現場指導者の期待を集めている。

5.これからの問題
 九州吹奏楽連盟には1,222団体が加盟している。大分県吹奏楽連盟の加盟団体数(83団体)はその平均にも満たない。やはり、吹奏楽の活動を盛んにするためにもせめて100団体を目標にしたい。その方途として考えられることは現在小学校が4団体しか加盟していない。実際には金管バンドで日常活動している小学校も多数あるので、それらの学校に加盟するよう勧誘し共に活動するように促したい。また、他の部門にも未加盟団体があるので調査し加盟を奨めたい。
 平成4年度に大分県吹奏楽連盟創立30周年を記念して大分県芸術祭の開幕行事を20年ぶりに実施するので、このムードを前回途絶えた「吹奏楽フェスティバル」の延長として継続開催出来るよう努力したい。平成3年度に県職場音楽連盟・県マンドリン連盟・現合唱連盟と県吹奏楽連盟の4者で「大分県音楽団体協議会−丹波登エフエム社長」が結成されたので異種団体の会合のようにあるが同じ音楽を愛する集団同志として行事を通じて理解しあい前進していきたい。既に今までに述べた事業や行事はここ数年で定着してきた。内容を見直しながら多くの人の意見を聞きながら常任理事会で充分論議して発展的に活動していきたい。
 全日本・九州吹奏楽連盟が益々上昇気流に乗って充実している。県吹連も乗り遅れないように前進努力していきたい。
九州吹奏楽連盟 40周年記念誌【20年史補輯(W)より】(平成7年)
[ 大分支部 ]
1.過去を振り返って

 大分県吹奏楽連盟の生い立ちは、確固として記録がなく定かでないが、昭和41年の大分国体にむけて、大分・別府市内を中心に開会式に演奏する約800名を目標とした大吹奏楽団の編成にある。
 当時昭和36,7年頃は先進地の国体開催県が派手に華やかに演奏し、その華麗な開会式の模様がテレビに映し出されていた。「果たして大分で同じようなことができるのか?」「それ以上負けない大編成をしなければ…」とあちこちでかまびすしく論議を重ねたものです。
 そして昭和37年に吹奏楽活動の実態を調査し、同年9月9日に結成した。創立の年に県体育館で「第1回大分県吹奏楽祭」を開催し中学校6校・高校4校・職場4チームの計14団体が出場、この時にはすでに7回を迎えた九州吹奏楽コンクールには参加しなかった。しかしそれ以前の第4回大会(熊本市立体育館)に中津中学校(指揮:桑島 哲)が自主的に出場している。
 九州吹奏楽コンクールに課題曲が設けられたのは第9回大会でしかも別府国際観光会館であったのも思い出として記録に残る。この年の県大会の参加団体は20団体であった。その後、大分県吹奏楽連盟の九州吹奏楽コンクールの予選参加数は、昭和45年度に27団体、昭和55年度には25団体とやや低調気味であったが、昭和56年度からは増加傾向をたどり、昭和60年度に47団体、平成3年度には68団体、そして平成7年度は小学校と一般の部が減少したものの69団体を数え現在3日制を敷いている。
 しかし、中学校の部は31団体と年々増えて1日では終了が夜8時過ぎになり、教育的配慮から2日間とし4日制にふみ切る時期が来た。


2.県代表の活躍

 県コンクール予選には毎回5名の審査員をお願いしているが、当初は県内の著名な音楽指導者・教師に依頼していたのを楽器別・現場指導者・作曲・評論家等を考慮して、昭和57年度の第27回コンクールの頃から関西以西から、更に現在では関東地区からでも適任者がいれば距離に関係なく依頼している。一時は県代表が九州大会に出場しても銀賞をとることすら至難と思われていたが、昭和50年度の吹奏楽コンクール職場の部で県庁職員吹奏楽団が札幌市へ、昭和63年度に小学校の部で日田市立日隈小学校が盛岡市へ、昭和62年度にはアンサンブルコンテストの中学校の部で大分市立明野中学校サクソフォーン四重奏が広島市へ、昭和63年度には同じく中学校の部で日出中学校打楽器七重奏が福井市へ、更に平成5年度には同じく一般の部で別府湯けむりアンサンブル木管五重奏が名古屋市へ、平成7年度には吹奏楽コンクール職場の部で新日鐵大分製鐵所吹奏楽団が和歌山市へと、先進県程の数はないけれど実績を挙げるようになった。

3.創立30周年記念

 平成4年度に大分県吹奏楽連盟は創立30周年を迎えたが、記念事業として大分県芸術祭の開幕行事を受けて、津久見市民会館で「吹奏楽の夕べ」と題して演奏会を開催した。高校・地元中学校の演奏に加えて目玉はジャズピアニストの辛島文雄氏をゲストに大分雄城台高校・大分東高校の吹奏楽部とガーシュイン作曲の「ラプソディーインブルー」を共演した。更に高校の指揮者辛島光義氏と文雄氏は実の兄弟で兄弟共演が実現したのも大きな話題となった。
 また、11月14日には大分東洋ホテルで記念式典を挙行し、創立当時に功績のあった故古屋敏勝氏外9名に感謝状を贈呈した。また、記念誌の発行・テレホンカードの発売等も行った。その外大分県合唱連盟・大分県マンドリン協会・職場音楽連盟・大分県吹奏楽連盟の4者で組織している音楽団体協議会としての大分県芸術祭開幕行事参加「国際音楽の日」演奏会等にも演奏自体には加われないこともあるが連盟として参加し協力している。

4.現状と問題点

 6月9〜11日の3日間大分で九州吹奏楽連盟主催の「九州マーチングセミナー」を開催したが、9日が普通日であったため県外からの参加者がほとんど無く県下の中学校・高校生を中心に180名の受講者が参加した。大分県吹奏楽連盟としては負担も大きかったが、県にとっては実り多い講習会でもあった。現状としては、研修会や講習会等は必ずしも満足のいくような運営が出来てないが、演奏技術の向上や豊かな音楽性を育てるという目的には少しずつ近付きつつあり若い指導者たちが年々力を付けてきたことが伺われる。毎回言われることであるが加盟団体数の増加・指導技術を更に向上するための講習会及びプレーヤーの演奏技術向上のための実技講習・指導者同士の情報交換や親睦交歓会等まだまだ内容を深めるべきことが多々あるが今後共取り組んでいきたい。
全日本吹奏楽連盟 60周年記念誌(平成10年)
[ 大 分 県 ]
推移と活動状況

 昭和41年の大分国体に向けて大分・別府を中心に吹奏楽団が編成され、連盟ができたのが昭和37年。以来歴史を重ねて創立30周年記念式典を大分東洋ホテルで華やかに挙行したのが、平成4年の11月。他の県連の創立より歴史は浅いが、大分県連としては目覚しい発展を遂げてきた。
 昭和37年に県体育館で開催した「第1回吹奏楽祭」は14団体の出場であった。九州吹奏楽コンクールに参加するようになったのがその年の第7回大会からで、その後、昭和60年47団体、平成になって、平成2年55団体、平成9年65団体と加盟団体の増加に従ってコンクール参加団体が増え、技術的にも音楽的にも向上してきた。さらには、他県に遅ればせながら、昭和50年、職場代表 大分県庁職員吹奏楽団の九州代表を始め、昭和63年の日田日隈小学校、平成元年の佐伯鶴谷中学校、平成7年の新日鐵大分吹奏楽団の団体が出場。アンサンブルコンテストでは、昭和62年に明野中学校のサクソフォーン四重奏、昭和63年には日出中学校の打楽器七重奏が全国大会に出場している。
 県内の常時活動としては、全国大会につながる九州大会予選の外、秋に開催される大分県芸術祭の開閉幕行事・共催・協賛行事への積極的参加、5月初めの初心者講習会、6月の課題曲講習会が定着して、連盟の活性化と発展・技術の向上の大きな源泉となっている。
 さらには、8月大分球場で開催する「マーチングフェスティバル」は、県吹連が協力する大きなイベントとして広く県民に親しまれ、平成9年には18回を数えるまでに成長した。
 また、県吹連が地方文化の発展と良い音楽を若者を中心とした多くの人々に鑑賞して頂くことを目標に、平成7年から取り組んでいる事業に「大気分コンサート」がある。これは大分に気を入れたもので、素晴らしい音楽を聴いて「大気分」になろう、演奏家には満員のお客さんの前で「大気分」に演奏してもらおう、という願望から高校生以下は600円から、一般は950円の低料金で世界一流の演奏家たちのジャンルを問わずに、既に10回開催してきた。常に1,500〜1,800人のホール一杯の聴衆に感動を与える活動をしている。
 なお、特筆すべきは、経費の不足分は県内の大企業・文化人からなる後援者会、企業・知識人・教師を中心とした六十数名の実行委員会、その他個人・商工関係者にも「大気分」でご理解頂き、400人近い協力者会が精神的・経済的に支えになってご支援・ご協力を頂いていることである。

現在の加盟団体数

小学校3団体 中学校40団体 高等学校30団体 大学3団体 職場3団体 一般23団体 合計102団体

平成9年度役員(H10.2現在)

 会  長   糸永 信義
 副 会 長   安倍 孝次  斉藤 哲哉
 理 事 長   糸永 信義
 副理事長   工藤 紘喜  岡村 隆夫
 常任理事   本母大二郎  山本 勝彦  橋詰 正三
        辛島 光義  宮邉  修  羽矢 宏嗣
        廣川由美子  渡辺 俊治  川島 啓希
        久保 一美
 事務局長   上野 浩一
 事務局次長  長野  薫  太田 宏子
 監  事   堀  義孝  望月 和彦
九州吹奏楽連盟 45周年記念誌【20年史補輯(X)より】(平成12年)
[ 大分支部 ]
現状と活動状況

 大分県吹奏楽連盟ができたのは昭和37年、以来歴史を重ねて創立30周年記念式典を華やかに挙行したのが平成4年の11月、それから8ヶ月の月日が流れた。諸般の事情で創立35周年を式典で飾ることが出来なかったが、大分県吹奏楽連盟としては年々目覚ましい発展を遂げ、平成14年の創立40周年記念に向けて日々努力を重ねているところである。平成2年に55団体であった加盟団体も平成9年には65団体、12年度には107団体と増加し、各コンクール参加団体が増えて技術的にも音楽的にも向上してきた。九州大会では、他県に遅ればせながら吹奏楽コンクールでは平成11年には新日鐵大分吹奏楽団が、アンサンブルコンテストでは、中津市立豊陽中学校が九州代表として全日本大会に出場している。
 県内の常時活動としては、全日本につながる九州大会予選の他、秋に開催される大分県芸術祭の開閉幕行事・共催・協賛行事へと積極的に参加、平成10年度に開催された「第13回国民文化祭・おおいた吹奏楽の祭典」では、日田市で県内外15団体の市中パレード、文化会館で県下中学、高校の合同バンド、職場・一般の合同バンド「宗麟ウインドオーケストラ」のほか、県外から9団体をお迎えして盛大に開催した。更には、特別ゲストとして「フランス国家警察音楽隊」を招聘したことも、大分県吹奏楽連盟の歴史に大きく記録される活動であった。また、国民文化祭を飾る事業として、作曲家の伊藤康英氏に依頼した記念創作曲「交響三頌"La Vita"」を大分市内高校生の合同バンドで演奏したことも特筆される。引き続き、平成12年4月に大分県民の森で開催された「第51回全国植樹祭」では、大分県警察音楽隊を始め新日鐵大分吹奏楽団、高等学校2団体の4団体が大会を盛り上げる主役の座を飾ったことも特記される。
 8月には大分球場で開催する「マーチングフェスティバル」は大分県吹奏楽連盟が協力する大きなイヴェントとして広く県民に親しまれ、平成12年に21回を数えるまでに成長した。
 大分県吹奏楽連盟が地方文化の発展と良い音楽を若者を中心に多くの人々に鑑賞して頂くことを目標に平成7年から取り組んでいる事業「大気分コンサート」の開催は、高校生以下は600円、一般は950円という低料金で世界一流の演奏家たちをジャンル問わずに10回の演奏会を開催してきた。常に1,500〜1,800人のホール一杯の聴衆に感動を与える活動をしてきたが、10年11年と全国的な行事が続いたため現在、新たな構想を練っているのが現状である。

○当時の加盟団体数
  小学校   3団体
  中学校  42団体
  高等学校 31団体
  大学    2団体
  職場    3団体
  一般   25団体 
  合計   106団体
九州吹奏楽連盟 50周年記念誌より(平成17年)
[ 大分支部のあゆみ ]
1 大分県吹奏楽連盟の発足
 大分県吹奏楽連盟(九州吹奏楽連盟大分支部)は西部吹奏楽連盟創立に遅れること6年後の昭和37年9月9日に正式に発足した。

(1)連盟発足に至るまでの経緯

 昭和31年の西部吹奏楽連盟発足に併せ、大分市立碩田中学校教諭久末 知 氏(当時)は朝日新聞大分支局から、西部吹奏楽連盟大分支部創設の働きかけを受けた。当時、久末氏は大分市内の教職員(吉野昭典・長野 守・安達正良・土谷大太郎氏等他数名と大分大学生の桑島 哲 氏)とともに管楽器合奏グループを結成し活動したが、県内の吹奏楽団は数団体のみで横の連絡も無く、残念ながら連盟を創設させる状況ではなかった。
 しかしながら西部吹奏楽連盟発足に伴い、大分県の窓口として久末知氏個人が任意的に役割を担っていたが、連盟活動に至らなかった。


ア)昭和31年当時の県内における吹奏楽団体の状況
 当時の楽団はアコーディオン等多種多様な楽器を使用した編成であり、徐々に管・打楽器主体の吹奏楽へ移行していた。

 ○中 学 校…2団体 中津市立中津中学校 豊後高田市立高田中学校(器楽編成)
 ○高等学校…3団体 大分県立別府緑丘高等学校 大分県立三重農業高等学校
           大分県立日田林工高等学校
 ○職  場…3団体 大分県庁職員吹奏楽団 大分県警察本部音楽隊
           大分鉄道管理局協調楽団


イ)中津市立中津中学校の第4回西部吹奏楽コンクール参加と西部吹奏楽連盟との関わり
 昭和29年に中津市立中津中学校に新任教師として赴任した桑島 哲 氏は、大分県下初の中学校吹奏楽部の結成に向けて楽器の調達に奔走するとともに、昭和33年夏・昭和34年夏に宮崎県延岡市土々呂中学校で開催された西部吹奏楽連盟吹奏楽講習会に全部員30名を引率して参加するなど、着実な活動を積み重ね、昭和34年には30名を擁する楽団に成長させていた。この年10月24日に熊本市立体育館で開催された「第4回西部吹奏楽コンクール」に初参加したが、県連(支部)組織がないため自主参加となった。中津市は地理的に小倉に近く、西部吹奏楽連盟の活動情報も得ており、県連組織がない大分県で中津中学校・桑島哲氏のみが西部吹連と独自な関係を持っていた。


ウ)学校における吹奏楽部の誕生
 昭和35年から36年にかけて、県内の中学校・高校で吹奏楽部が誕生し始めた。当時、楽器は高価で容易に手に入るものではなかったが、篤志家の寄贈などにより、学校現場で小編成の楽団が徐々に結成された。

●中学校における吹奏楽部の誕生
 昭和36年に大分合同新聞社・大分県音楽教育研究会主催で開催された「大分県小中学校器楽大会」に、大分市立上野ヶ丘中学校、中津市立中津中学校、豊後高田市立高田中学校、国東町立国東中学校、佐伯市立鶴谷中学校の吹奏楽部5団体が参加し、県下の中学校吹奏楽部創設に影響を及ぼした。

●高等学校吹奏楽部の活動
 高等学校においても吹奏楽部が徐々に誕生し、大分県高等学校総合文化祭で演奏交流が行われるようになった。新たに創部された別府市立別府商業高等学校、大分県立佐伯豊南高等学校、大分県立安心院高等学校の3校を加え6校の吹奏楽部が存在した。


エ)連盟創設の機運
 昭和36年に入ると、「大分国体」が昭和41年に開催されることが決定した。国体の開会式における吹奏楽の役割は不可欠の要素となったが、県内に十分な吹奏楽団は存在していなかった。こうした状況下で、当時別府市に在った大分県立緑丘高校(現 大分県立芸術文化短期大学附属緑丘高校)の吹奏楽を指導していた本母大二郎氏(現大分県吹奏楽連盟顧問)は県下の吹奏楽事情に不安を抱き、国体準備委員会に出向き、式典音楽における吹奏楽団の活用について問いただしたが、「これからの問題」として明確な回答が示されなかった。本母氏は「吹奏楽連盟の立上げ」が急務と考え、日頃から交流のある別府ハマダ楽器店の安藤 擴 氏(現アンドー楽器社長)に相談し連盟創設に奔走した。二人が調査した結果、大分市内の中学校教師の久末氏の存在を知るとともに、県庁職員吹奏楽団指導者の中野幸和氏(現大分県芸術振興会議理事)、国鉄協調楽団指導者の榊 久夫 氏(故人)と連絡が取れ、各諸氏が初対面の中で連盟創設に向けての協議がなされた。本母大二郎氏と安藤擴氏の熱心な奔走は音楽教育関係者の共感を得て「国体は県民の手で成功させる」との共通した思いとなった。連盟創設の提唱は当時の大分市立碩田中学校長の田所正義氏(故人)によって公式的な準備がなされた。

(2)大分県吹奏楽連盟の誕生

 連盟設立に向けて準備会が開かれ、出席した久末・榊・中野・本母・桑島・安藤の各氏に加え、新たに別府商業高校教諭の安倍孝次氏(故人)が参加し、連盟の骨格が検討された。その結果、昭和37年9月9日に大分県吹奏楽連盟は正式に誕生した。
 しかしながら、楽団を保持しての加盟団体は8団体のみで、連盟の活動は大分県国体事務局からの楽器助成を前提にした県下中学校・高等学校の吹奏楽部の立上げを重点に着手した。まさに大分国体がらみによって大分県吹奏楽連盟が誕生した。

 創設時 会 長 山香町立山香中学校長   古屋 敏勝 氏
     理事長 大分市立碩田中学校教諭  久末  知 氏

○連盟結成記念吹奏楽祭の開催と市中パレードの実施
 昭和37年12月9日(日)。大分県吹奏楽連盟(西部吹奏楽連盟大分支部)の創設を記念して、初の「吹奏楽祭」が大分市荷揚町の県立体育館で午後1時から盛大に開催された。参加団体は中学校6・高校4・職場3団体の320名と陸上自衛隊別府駐屯地音楽隊が特別参加した。木下郁大分県知事の祝辞の後、15団体が満席の市民を前に演奏を繰り広げた。またこれに先立ち、参加全団体が大分駅前から会場までパレード演奏を行い、多くの市民から拍手と声援を受けた。14団体吹奏楽団が一堂に会しての市中パレードと演奏会は、前代未聞の出来事として市民から大きな関心と話題を呼び、吹奏楽連盟の出発にふさわしく、師走の空に明るく輝いた。

 新聞記事は連盟発足記念行事として開催された「第1回大分県吹奏楽祭」を報道した朝日新聞記事。パレードは数集団に分かれて行進した。写真の先頭集団を学生服で指揮しているのは、当時・中津中学校教師 桑島 哲 先生。

 <参加団体>
 宇佐市立長洲中学校、中津市立中津中学校、宇佐市立宇佐中学校、豊後高田市立高田中学校
 山香町立山香中学校、大分市立上野ヶ丘中学校、大分県立別府緑丘高等学校
 別府市立別府商業高等学校、大分県立大分工業高等学校、大分県立大分商業高等学校
 大分県立三重農業高等学校、大分県庁職員吹奏楽団、大分鉄道管理局協調楽団
 大分交通ガイドバンド
  特別参加:陸上自衛隊別府駐屯地音楽隊


ア)連盟創立と第21回国民体育大会「大分国体」
 昭和41年に開催された一巡目大分国体は、大分県吹奏楽連盟(西部吹奏楽連盟大分支部)の設立に直接的な影響を及ぼした。国体の総合開閉会式に参加する大分・別府市内の中学校・高等学校・県庁職員・大分国鉄・大分県警と中津中学校の各団体に対して、県から各33名編成の楽器が助成配分されるとともに、各競技を開催する県下の市町村においても、それぞれの学校に楽器が助成配分された式典音楽を担った。この事により、県下の吹奏楽部が一挙に開花した。大分国体は正に大分県吹奏楽連盟を誕生させた生みの親であった。

(写真)

○昭和41年に開催された一巡目大分国体の開会式で入場行進演奏する大分・別府市内の中学・高校・職場の吹奏部員800名で編成された大吹奏楽団行進。指揮者は陸上自衛隊4師団 志記音楽隊長

●夏季国体総合開閉会式の演奏参加団体
 別府市内の浜脇・青山・中部の3中学校、別府緑丘高校、別府商業高校と陸上自衛隊別府駐屯地第3特科群音楽隊の6団体198名。大分県警察音楽隊を中心に編成されたファンファーレ隊が演奏した。(会場は別府市立青山中学校内の特設プール)

●秋季国体総合開閉会式の演奏参加団体
 800名の大吹奏楽団は大分県吹奏楽連盟加盟団体により結成された。参加団体は大分市内の上野ヶ丘・南大分・碩田・滝尾・王子と別府市内の青山・浜脇・中部、それに中津中学の各中学校。高校は大分商業・大分工業・三重農業・津久見・別府緑丘・別府商業・佐伯豊南・日田林工の各高校。職場は大分県庁職員吹奏楽団、大分鉄道管理局協調楽団、大分県警察音楽隊の県内19団体に加え、別府市駐屯地第3特科群と福岡県春日市駐屯第4師団の合同自衛隊音楽隊が式典演奏を行った。ファンファーレ隊は大分県警察音楽隊・大分商業高校・大分工業高校の金管楽器選抜メンバーにより演奏した。(会場は大分市営陸上競技場)
 <演奏曲目>
 ○式典曲…君が代、若い力、県民体育の歌、得賞歌、埼玉県歌
 ○行進曲…君が代行進曲、リトルジャイアンツ、行進曲大分、蛍の光行進曲
 ○ファンファーレ隊…宗麟、由布のあけぼの、栄光、豊後路の夕映え、のオリジナル4曲


イ)加盟団体数の推移
 昭和37年9月に創立した当初は14団体の加盟で船出した。その後、徐々に加盟団体が増加し、平成17年度現在105団体が加盟し発展している。


ウ)連盟事務局の変遷
 大分県吹奏楽連盟の設立とともに事務局を設置したが、発足当時から支援・協力を頂いた現アンドー楽器社長の安藤擴氏の存在なくして語れない。事務局をある一時期、事務局長の在籍する学校に設置した時期もあったが、連盟事務は電話・郵便の受信・発信などに雑多にわかり、その学校現場において必ずしも好意的に受け入れなかった状況もあり、安藤擴氏の勤務する楽器店と氏の楽器商独立において全面的な支援・協力を得たことは、今日、連盟の歴史において特記すべきことである。

○連盟事務局の所在変遷
年度事務所在場所所在地住所
昭和37年ハマダ楽器店内別府市流川3丁目
昭和38年〜昭和40年松村楽器店内大分市中央町
昭和41年〜昭和44年大分市立王子中学校内大分市南春日町
昭和45年〜昭和47年別府市立浜脇中学校内別府市浜脇町
昭和48年〜昭和49年別府市立山の手中学校内別府市山の手町
昭和50年〜昭和63年(有)アンドー楽器内大分市城崎町及び都町
平成元年〜平成13年8月(有)アンドー楽器内大分市花津留町
平成13年9月〜(有)アンドー楽器内大分市牧2丁目1番38号
平成14年4月〜独立事務所設置大分市牧2丁目1番38号


●独立事務局設置と専従事務局員の配置
 連盟発足以来、長年にわたりアンドー楽器に協力を得て来たが、平成13年9月アンドー楽器の移転を機に、平成14年4月から実効的な事務局体制を確立するため、アンドー楽器入居ビルに隣接した会議室を賃貸借し、専従女性事務局員1名(平日午後半日勤務)を配置するとともに、役員会議と30名程度までの座学講習会等が開催できる機能性をもった事務局体制が確立した。


エ)連盟の歴代役員
 歴代の役員・関係者は連盟の運営に尽力され今日の連盟を築かれた。特に糸永信義氏は昭和42〜53年と昭和62〜平成14年の28年に亘り、大分県吹奏楽連盟理事長を務め吹奏楽の発展に多大な貢献をされた。

○九州吹奏楽連盟理事長に大分支部長の糸永信義氏の就任と九吹連常任理事活動
 現大分県吹連会長(当時大分支部長)の糸永信義氏が、平成3年度から平成14年度までの6期12年にわたり九州吹奏楽連盟理事長として運営に当たり、各種の改革を推進し九州の吹奏楽発展に尽力されたことを特筆したい。また、九州常任理事として斉藤哲哉氏(H3〜H6年度)、上野浩一氏(H11〜H14年度)、橋詰正三氏(H15年度〜現在)が赴き九州吹連活動に参画貢献した。

○現役員体制
役職氏 名役職氏 名役職氏 名
顧  問
本母大二郎
常任理事
川島 啓希
理  事
堀  竜大
会  長
糸永 信義柳谷 一宏穴本 浩二
理 事 長
工藤 紘喜山本 泰久曽根崎浩司
副理事長
斉藤 哲哉油布 誠二
常任監事
赤川 治之
岡村 隆夫
理  事
羽矢 宏嗣
監  事
堀  義孝
事務局長
事務局次長
(兼常任理事)
長野  薫伊藤喜美子望月 和彦
橋詰 正三引田 裕一
事務局員
安藤  擴
津田 千里友永  亮中村 和敬
常任理事
上野 浩一宮辺 勇一志賀 友美
久保 一美野村アイ子
(専従員)
成清  愛
2 定例的な連盟活動

(1)大分県吹奏楽コンクール(支部予選)と九州・全日本吹奏楽コンクール

 大分県吹奏楽連盟(支部)の結成は、九州各支部に6年遅れとなり、大分県吹奏楽コンクール(支部予選)を開催したのは昭和39年度からである。この年、第9回西部吹奏楽コンクールが別府市北浜に在った「別府国際観光会館」の大ホールで開催され、県連盟としては画期的な大事業となった。それ以降毎年、大分県吹奏楽コンクールを実施し、大分県代表を九州大会に送り出している。過去、九州代表として全日本に出場した団体は大分県庁職員吹奏楽団(昭和50年)、佐伯市立鶴谷中学校吹奏楽部(平成元年)、新日本製鐵株式会社大分製鐵所吹奏楽団(平成7年、11年、15年)5回3団体となっている。

 <過去大分県で開催実施された九州吹奏楽コンクール>
  ・第9回(昭和39年)全部門           別府国際観光会館(市中パレードあり)
  ・第19回(昭和49年)全部門           大分文化会館
  ・第34回(平成元年)中学・高校の部       大分文化会館
  ・第37回(平成4年)大学・職場・一般の部    大分文化会館
  ・第44回(平成11年)小学・大学・職場・一般の部 宇佐文化会館ウサノピア
  ・第49回(平成16年)高校・中学の部       大分県立総合文化センター「グランシアタ」

(2)大分県アンサンブルコンテストと九州アンサンブルコンテスト

 大分県アンサンブルコンテスト(支部予選)は、九州アンサンブルコンテストの実施とともに歴史を重ね、着実な発展を遂げてきた。過去、九州代表として全日本に出場した団体は新日本製鐵株式会社大分製鐵所吹奏楽団(昭和57〜61年、平成7・11・16)の8回出場と大分市立明野中学校(昭和63年)、日出町立日出中学校(平成元年)、大分高等学校吹奏楽部(平成3年)、大分大学文化会吹奏楽部(平成5年)、別府湯けむりアンサンブル(平成6年)、中津市立豊陽中学校(平成12年)の7団体となっている。

(3)大分県マーチングコンクールと九州マーチングコンテスト

 昭和58年から九州マーチングコンクールが開催実施されるのを機に、大分県マーチングコンクールを開始した。また大分県大会を大分県高等学校文化連盟と共催し、次年度の全国高等学校総合文化祭マーチングバンド部門の選考会を兼ねるようになった。現在の課題は中学校の参加促進。

(4)各種講習会の開催実施

 毎年度、「初心者講習会(5月)」「課題曲講習会(6月)」「マーチング講習会(8月)」を開催する他、指導者及び会員・部員のレベル向上を図るため、随時に有効な講習会を開催している。

(5)大分県吹奏楽フェスティバルの実施

 平成9年、大分市に「大分県立総合文化センター」が建設され施設内に「グランシアタ」と「音の泉ホール」の二つのホールが新設された。多くの市民に吹奏楽を楽しんでもらう事を目的に、平成14年から毎年6月に吹奏楽フェスティバルを開催している。
3 大分県吹奏楽連盟が取り組んだ県及び全国規模事業への参画

(1)大分県芸術祭と連盟行事

 昭和40年、大分県文化芸術振興会議の設立とともに始まった「大分県芸術祭」において、大分県吹奏楽連盟がこれまで3回の開閉開幕行事に取り組んでいる。


ア)第8回大分県芸術祭開幕行事「県民吹奏楽」の開催実施
 昭和47年10月、大分・別府市を中心に加盟各団体から選抜された85名の特別編成により、大分文化会館と別府国際観光会館の2会場で「県民吹奏楽」を開催した。指揮者は米国カリフォルニア大学バークレー校教授で武蔵野音楽大学客員教授として来日中のジェームス・バーダル博士を招き、10回に及ぶ総合練習会でバーダル氏の指導を受け、画期的な吹奏楽による演奏会を成功させた。
 <演奏曲目>
 ドヴォルザーク作曲 交響曲「新世界」より1・2・3楽章 他


イ)第11回大分県芸術祭参加行事「吹奏楽フェスティバル」の実施
 昭和50年11月、加盟団体の参加により別府国際観光会館の大ホールで「吹奏楽フェスティバル」を開催し、各団体による演奏や中学生合同の演奏等を行った。この年の大分県芸術祭は開閉幕行事に洋楽部門が無かったため、洋楽行事の柱となった。


ウ)第14回大分県芸術祭閉幕行事「大分をうたう」の開催実施
 昭和53年11月、大分県吹奏楽連盟加盟団体から選抜された80名の特別編成により大分文化会館大ホールで大分県芸術祭閉幕行事を開催した。演奏曲は、地元大分大学の田村洋彦氏に作曲依頼した委嘱曲「大分をうたう」を演奏した。


エ)第28回大分県芸術祭開幕行事「大分県吹奏楽連盟創立30周年記念 吹奏楽の夕べ」の開催
 平成4年10月、大分県吹奏楽連盟創立30周年を記念し、「吹奏楽の夕べ」を津久見市民会館で開催した。大分県芸術祭の性格上、一文化団体の創立記念行事を開幕行事に取り上げられるのは異例であったが、これまでの大分県吹奏楽連盟の果たした地域文化への貢献が認められた出来事でもあった。第1部は大分東明高校のステージドリル、第2部は地元津久見市の津久見高校と中学2校の合同演奏、第3部は大分雄城台高校と大分東明高校からなる合同編成で行われ、大分県出身のジャズピアニスト辛島文雄氏(大分県吹奏楽連盟役員・辛島光義氏の実弟)をゲストに招き、大分東高校の辛島光義氏の指揮による兄弟共演が話題を呼んだ。
 <演奏曲目>
 第2部…「星条旗よ永遠なれ」「双頭の鷲の旗の下に」「ラデッキー行進曲」
 第3部…ドヴォルザーク作曲 交響曲「新世界より」全楽章
     ガーシュウィン作曲 「ラプソディー・イン・ブルー」

(2)第21回国民体育大会「大分大会」への参加

 夏季・秋季国体で、総合開閉会式を始める各市町村で開催された各競技会場における式典音楽に大分県吹奏楽連盟加盟団体が総力を挙げて演奏に参加した。(詳細は前途)

(3)第13回国民文化祭おおいたへの参加

 平成10年に開催された「国民文化祭」において、大分県及び開催市町村とともに吹奏楽が関係する行事を展開した。また、この文化祭に大分県吹奏楽連盟がサポートし、海外招聘団体としてフランスから「フランス国家警察音楽隊」を招聘した。併せて同音楽隊を大分県のほか岩手県室根村、札幌市、宮崎市、熊本市、福岡市、佐賀市の各会場で全国ツアーコンサートを発信させ、この年の「日本におけるフランス年」の友好文化事業に貢献した。この招聘において工藤紘喜氏(現大分県吹奏楽連盟理事長)が1年間にわたりフランス側と交渉にあたり、実現したことを忘れることができない。


ア)“オープニング・パレード”
 国民文化祭のオープニングを飾って、大分駅前の中央通りでパレードが繰り広げられた。大分県吹奏楽連盟から大分女子高校(現大分西高校)・大分東明高校・大分商業高校と大分県警察音楽隊、県外参加の4団体などがパレードに参加し、オープニング・パレードを盛り上げた。


イ)“吹奏楽の祭典”
 日田市民会館を会場に“吹奏楽の祭典”を開催した。第1部は県下の高校から選抜された吹奏楽団が作曲家伊藤康英氏へ作曲委嘱した交響三頌“La Vita”を初演(指揮:大分高校・斉藤哲哉氏)した。第2部では県内の職場・一般から選抜した「宗麟ウインドオーケストラ」の演奏と県内の中学校の合同吹奏楽団が演奏するとともに、県外から参加した8団体が単独演奏を行った。第3部では80名編成の「フランス国家警察音楽隊」(ブノア・ジロー隊長指揮)が海外招聘団体としてローマの謝肉祭、ボレロ等を演奏し絶賛を博した。また、祭典の開幕前に参加15団体が日田市内をパレードし。この費の日田市は吹奏楽一色となった。


ウ)マーチングの祭典
 大分市の大分県立総合体育館を会場として「マーチングの祭典」を開催した。大分県内団体は別府商業高校・大分女子高校・大分商業高校と大分県警察音楽隊。県外からは大牟田高校・佐賀清和高校・鹿児島女子大附属高校・天理教愛町文教会・総合警備保障女子儀杖隊などのバンドにバトントワーリング、チアリーダーチーム21団体がマーチング、バトン演技を繰り広げ会場を観衆を魅了した。


エ)“フランス国家警察音楽隊演奏会”
 国民文化祭海外招聘団体として出演したフランス国家警察音楽隊特別演奏会を主催し大分文化会館で開催した。同音楽隊は日本ではあまり馴染みのない音楽隊であったが、その演奏力はギャルドを彷彿とさせる以上の見事な演奏で聴衆を魅了した。また、同楽団の招聘に当たり、大分県知事平松守彦氏と大分県警察本部長巽 高英 氏から多大な理解と支援をいただくとともに、フランス国内務省との交渉に際し、元警察庁長官國松孝次氏の仲介と東京藝術大学教授細野孝興氏の献身的な現地交渉などにより実現できたことを特筆したい。また同楽団の特別公演を開催したいただけた福岡・佐賀・熊本・宮崎の各支部のご支援ご協力に深く感謝したい。
 <演奏曲目>
  「展覧会の絵」「ダッタン人の踊り」「ローマの謝肉祭」
  「ラプソディー・イン・ブルー」「ボレロ」他

(4)第51回全国植樹祭「大分大会」の開会式演奏

 平成12年4月。大分県で二巡目を迎えた全国植樹祭が天皇皇后両陛下をお迎えして大分県民の森公園で開会式が開催された。大分県吹奏楽連盟加盟団体から大分雄城台高校・大分東明高校の2校、新日本製鐵株式会社大分製鐵所吹奏楽団・大分県警察音楽隊が開会式で演奏した。演奏曲の全てが委嘱されたオリジナル曲で構成されたが、参加した各吹奏楽団は見事に演奏し県内外の関係者から賞賛を得た。
4 大分県吹奏楽連盟が主催・主導した事業

(1)「大気分コンサート」の開催実施

 大分県吹奏楽連盟は、音楽による青少年の健全育成を柱に活動を行っているが、その一方策として、世界的な素晴らしい演奏家によるコンサートを家族揃って格安で鑑賞できる「大気分コンサート」実行委員会を立上げ開催実行した。
 このコンサートは、当時の大分県警察本部長竹花 豊 氏(前東京都副知事・現警察庁生活安全局長)が提唱し、竹花県警本部長と大分県吹奏楽連盟役員を中心とした音楽関係者が会合を重ね、糸永信義大分県吹奏楽連盟理事長を開催実行委員会会長に県内各企業等の経営者・有識者・音楽関係者が実行委員に名を連ね、経済界の資金的な援助と協力を得て定期的なコンサートを開催した。
 開催運営は大分県吹奏楽連盟役員があたり、演奏会当日は実行委員の各企業代表者・県警本部長・日銀支店長・銀行頭取等の知名士が受付案内役を行い、心あたたかいコンサートとして多くの市民から好評を得た。しかしながら、経済状況の悪化とともに同コンサートは休止された。
“大気分”とは大分の中に気持ちを入れ、おおらかに開催するとの意味から、地元コピーライターが名付けた。連盟としては経済状況などが好転した時期には再開したい事業である。
 入場料金は大人900円、高校生以下600円で実施した。

○第1回 平成7年10月16日(月) 大分文化会館 大ホール
  「クリスチャン・リンドバーク」トロンボーンコンサート
○第2回 平成7年11月28日(火) 別府カトリック教会礼拝堂
  「三上浩子」パイプオルガンコンサート
○第3回 平成7年11月29日(水) 別府ビーコンプラザ フィルハーモニアホール
  「ゲイリー・カー」コントラバスコンサート
○第4回 平成7年12月20日(水) 大分文化会館 大ホール
  「ウィーン・ブラッシシモ」金管5重奏コンサート
○第5回 平成8年11月1日(金) 大分文化会館 大ホール
  「フェルハン&フェルザン・エンダー」ピアノデュオコンサート
○第6回 平成8年12月1日(日) 大分文化会館 大ホール
  「ヤナーチェク室内合奏団」コンサート
○第7回 平成9年1月21日(火) 別府ビーコンプラザ フィルハーモニアホール
  「クインズランドユース」青少年交響楽団コンサート
○第8回 平成9年6月2日(火) 大分文化会館 大ホール
  ウィーン・フィル主席メンバーによる「オペラファンタジー」
○第9回 平成9年9月29日(月) 大分文化会館 大ホール
  「プロ・アルテ・アンティクァ・プラハ」弦楽5重奏コンサート
○第10回 平成9年10月21日(火) 大分文化会館 大ホール
  「米良美一」コンサート
○第11回 平成10年10月9日(金) 大分文化会館 大ホール
  10人のミラクル・トランペッター「テン・オブ・ザ・ベスト」コンサート
○第12回 平成10年11月18日(水) 大分文化会館 大ホール
  「ジャン・シベリウス」弦楽四重奏団コンサート

(2)「TADウインドシンフォニー九州ツアー」大分公演を主催

 平成17年8月。iichiko総合文化センター「iichikoグランシアタ」において、財団法人大分県文化スポーツ振興財団共催事業としてTADウインドシンフォニー(指揮:鈴木孝佳氏)の演奏会を大分県吹奏楽連盟が主催事業として開催し、吹奏楽ファンを魅了した。
5 その他の連盟事業

(1)大分県吹奏楽連盟創立30周年記念

 平成4年11月14日。大分県吹奏楽連盟創立30周年を記念し、大分東洋ホテルにおいて、大分県吹奏楽連盟役員・関係者約80名が出席し記念式典と祝賀会を挙行した。記念式典では大分県吹奏楽連盟創立時に功労のあった10名の方々に糸永信義理事長から感謝状が贈呈された。
 またこれを記念して「記念テレホンカード」が作成された。

(2)大分県吹奏楽連盟創立40周年記念

 平成15年1月18日。大分県吹奏楽連盟創立40周年を記念し、大分全日空ホテルにおいて、大分県吹奏楽連盟役員・関係者約65名が出席し記念式典と祝賀会を挙行した。記念式典では大分県吹奏楽連盟活動の功労者表彰と各種コンクール出場指導者表彰など5団体と10名の方々に糸永理事長から感謝状が贈られた。またこの式典と祝賀会に九州吹奏楽連盟会長の松井参伍氏と副理事長の高良孝純氏、朝日新聞社西部企画部長の藤原郁男氏、大分県国体準備室長の高山精二氏が来賓出席し祝辞をいただいた。


ア)創立40周年記念事業「ピアノとプラハ木管5重奏団コンサート」の開催
 連盟創立40周年を記念し、平成14年5月31日、チェコからプラハ木管5重奏団を招聘し記念演奏会を開催した。この演奏会は、フランス、チェコを中心にソロ演奏活動を行っているピアニスト永冨和子氏のお世話によるもので、大分での演奏を目的に来日した。演奏会では永冨氏のピアノを加えた6重奏もあり、質の高い演奏に聴衆は魅了された。


イ)「ウインドアンサンブル荷揚」のプラハ訪問文化交流派遣事業
 また、この5重奏団のメンバーが、連盟傘下の小学生楽団「ウインドアンサンブル荷揚」の練習会を訪問し、当時の大分県警察本部長青木五郎氏と三井不動産大分支社長村田正夫氏の通訳で交流会を開催したことが縁で、プラハ側からプラハへの招待状が届き、大分県吹奏楽連盟共催事業として派遣助成金120万円を拠出するとともに、大分県及び在日本チェコ共和国大使館や県内関係機関の支援を仰いで、平成16年8月末から10日間の日程で「ウインドアンサンブル荷揚(本母大二郎氏指揮38名編成)保護者14名」がプラハ市を訪問し、世界第一級ホールとして名高い「スメタナホール」においてプラハ市内の小中学生を対象に3回のコンサートと市内公園で屋外コンサートを行うほか、地元のジュニアオーケストラとの演奏交流会を行い、プラハ市民の好評をはくし両国市民の文化交流を果たした。この大事業を挙行するに、同楽団後援会長の後藤英敏氏をはじめ保護者会の全面的な協力と決断があったことを記したい。

(3)「文化の日の大分県知事表彰」の受賞と受賞記念祝賀・コンサートの開催

 平成16年11月3日。文化の日に広瀬勝貞大分県知事から大分県吹奏楽連盟のこれまでの活動が地域文化に多大な貢献を果たしてきた、として県文化賞「文化の日の大分県知事表彰」が県庁ホールにおいて表彰され、連盟がこれを受賞した。


ア)受賞記念「良い音は皆の心に響くコンサート」の開催
 この栄えある受賞を記念して、よく11月4日にiichiko総合文化センター内のNHK大分放送局内「キャンパスホール」において、ザルツブルグ・モーツァルテムオーケストラ主席奏者のヴィリー・シュヴァイガー氏を招聘し、受賞記念コンサート「良い音は皆の心に響く」を無料で開催した。このコンサートは、知的障害者施設に案内し、健常者と知的障害者が同じ会場で一流の音楽を聴き「あなたはこの素晴らしい演奏会で知的障害者が発する行動・奇声が気になりますか?それとも、それらを障害者の喜びや感動の表現と思いますか?」と当連盟工藤理事長が来場者に率直に問いかけ「音楽の場における共生社会の実現」について理解を求め共感を得た。この事がNHKや各報道機関で好感的な話題として取り上げられた。


イ)記念祝賀会の開催
受賞記念コンサート終了後、同一施設内の大分全日空ホテルにおいて演奏者と障害施設関係者などを交えて祝賀会を開催し、出席者に今後の大分県吹奏楽連盟の活動に対する協力と理解をお願いし、受賞祝賀会を閉じた。
6 大分県一般吹奏楽連盟の活動
 大分県の一般吹奏楽連盟は大分県吹奏楽連盟の支配下組織として、大分県吹奏楽連盟に加盟する一般の吹奏楽団体を以って平成7年5月に結成され、九州一般吹奏楽連盟に参画して各種の活動を行っている。中でも、平成14年から毎年2月に開催している「豊の国ブラスフェスティバル」は回を重ねるごとに充実し10団体が参加する等着実に発展を遂げている。また第5回フェスティバルからは従来の定着した会場を出て県内巡回開催を実施しており、地域と一体となった文化活動を進め、県内各地の地域市民とのふれあい活動に取り組んでいる。

 <組織・役員等> 加盟17団体で大分県吹奏楽連盟事務局内に事務局を設置
 会  長  工藤 紘喜(大分県吹奏楽連盟理事長を以ってあたる)
 理 事 長  友永  亮(大分県吹連理事:鶴崎吹奏楽団 団長)
 副理事長  油布 誠二(大分県吹連常任理事:佐伯市民吹奏楽団 常任指揮者)
       桑原 惠一(ジョヴィアルリング・ウインドオーケストラ団長)
       五嶋 隆之(臼杵ウインドアンサンブル 事務局長)
 事務局長  武田  桂(大分クラリネットファミリーさくま〜ず 代表)
  ※常任理事(12名)理事(8名)は加盟団体の役員が赴いている。