■大分県吹奏楽連盟 沿革資料 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
九州吹奏楽連盟 創立20周年記念誌 より(昭和50年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
県連結成の過程について(本母大二郎) 昭和37年夏、岡山国体開会式の模様がテレビで放送された。高らかに響くファンファーレ、続いて800名による吹奏楽団の演奏、私は、筆舌につくすことのできない感動を覚えると同時に、表わしようのない焦燥感におそわれた。4年後に開催される大分国体の準備はすでに動き始めていたが、果たして吹奏楽団の結成はどうなるのであろうか。県下に吹奏楽団はいくつあるのか、その実態もわからなかった。私は友人である楽器店関係の安藤氏と顔を合わせる度に話しあった結果、国体準備委員会に直接相談に行くことにした。しかし、委員会としてはまだその段階ではないし、また、吹奏楽のことに関しては委員会として働きかける筋ではないとのこと、まず組織を作ってその後に再度協力を申し出てほしいとのことだった。とりつく島もない気抜けした気分であった。折も折、朝日新聞に問い合わせたところ、大分県には数年前まで吹連らしきものがあったことを知り、当時世話をされていた久末氏と連絡がとれた。それによると、県下で吹連加盟しているのは3団体あったわけで連盟そのものが有名無実であった。さっそく県下の中・高校ほぼ全校と職場の中で編成してあるとの情報を得た団体に対し、吹連の必要性、国体時の吹奏楽団の重要性を呼びかけるパンフレットを準備し、編成の有無、今後編成の動きがあるかどうかの調査をはじめたものである。私の呼びかけは確たる組織があるわけでないし、知名氏の後楯もないので、すこぶる弱者の遠吠えのようで不安でならなかった。しかし、県庁の中野氏、大分国鉄榊氏の強力な賛同とご協力を得、県下から編成のある団体からの返事が届けられた。この時ばかりは胸の鼓動の高まりを押えることができなかった。 そして大分県吹奏楽連盟の発足(正式には再発足)は1年後の昭和38年5月8日、当時碩田中学校長の田所正義氏によって提唱された。勿論その中心となったのが山香中学校の古屋敏勝氏であったことを特記したい。 大分支部のあゆみ 1.大分県吹奏楽連盟の推移 (年間行事) 吹連大分支部での年間行事は、毎年5月又は6月に開催する年1回の総会、8月に実施する県吹奏楽祭(コンクール県予選を兼ねる)と10月に西部吹連で開催する西部吹奏楽コンクールの参加である。この他には「特筆すべき活動」の中で述べた行事である。 ○コンクール参加状況(中野 記) 2.県吹連の現状と問題点 県下における吹奏楽の現状は、必ずしも盛況であるとは言えないにしても、県吹連を中心として、まずまずのまとまりをみせている。しかし、現在県吹連が直面している問題点一つある。それは各団体が「県吹連に加盟してどれ程のメリットがあるのか」と言う事である。これは連盟を運営していく上で重要であり、のがれることの出来ない問題点でもある。もちろん、連盟がすべての加盟団体に対して満足のいく運営、サービスを行う事は不可能でもある。しかし、どの加盟団体い対しても平均的な最低線のメリットを与えなければ、組織の維持も拡大もはかれないのである。極端な言い方をすれば、連盟がコンクールのみの実施機関であれば、眼前で空中分解するのである。 そこで大分県吹連も組織体制の在り方についてしんけんに取り組み始めたのはごく最近の事でもある。 1.連盟事業の責任範囲体制の明確化 2.各種事業の整備と充実化 3.広報活動の強力推進 4.各行政機関との連けい強化 等である。 まず、手始めに従来のブロック講習会の他全県的なパート別講習会の実施、コンクールと吹奏楽祭、その他フェスティバルの独立した運営、年間通じた数多い行事を企画、実施していこうと、役員一同ハッスルしている今日、この頃である。(工藤 記) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全日本吹奏楽連盟創立40周年記念誌より(昭和53年) [ 大 分 県 ] (安倍 孝次) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1.推移と活動状況○年間行事2.県吹連の現状と問題点 県下における吹奏楽の現状は、必ずしも盛況であるとは言えないにしても、県吹連を中心として、まずまずのまとまりをみせている。しかし、現在県吹連が直面している問題点一つある。それは各団体が「県吹連に加盟してどれ程のメリットがあるのか」と言う事である。これは連盟を運営していく上で重要であり、のがれることの出来ない問題点でもある。もちろん、連盟がすべての加盟団体に対して満足のいく運営・サービスを行う事は不可能でもある。しかし、どの加盟団体い対しても平均的な最低線のメリットを与えなければ、組織の維持も拡大もはかれないのである。極端な言い方をすれば、連盟がコンクールのみの実施機関であれば、眼前で空中分解するのである。 そこで大分県吹連も組織体制の在り方についてしんけんに取り組み始めたのはごく最近の事でもある。 1.連盟事業の責任範囲体制の明確化 2.各種事業の整備と充実化 3.広報活動の強力推進 4.各行政機関との連けい強化 等である。 まず、手始めに従来のブロック講習会の他全県的なパート別講習会の実施、コンクールと吹奏楽祭、その他フェスティバルの独立した運営、年間通じた数多い行事を企画、実施していこうと、役員一同ハッスルしている今日、この頃である。 3.歴代役員
4.現在の加盟団体数 小学校 1団体 中学校 18団体 高等学校 8団体 大学 1団体 職場 4団体 合計 32団体 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
九州吹奏楽連盟創立30周年記念誌より(昭和60年) [ 大分支部 ] (支部長 安倍 孝次) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脱皮を図る大分支部 久しく弱小支部・発展途上支部の位置に甘んじてきた我が支部も近年どうやらその汚名を返上できそうである。役員はもとより、全ての指導者、関係者が一丸となって、先進支部に「追いつこう」「追いこそう」を合言葉に懸命な努力を重ねているところである。 このことを、ここ5.6年ふりかえりながら、今、我々が推進していることをつづってみたいと思う。 1)組織の改革 まず、連盟の組織を九吹連にならって次のように改革し、実務的な常任理事制を強化した。 (組織図) 以上のように改め、1人が1役を責任をもって果たすことになり、連盟の推進意識が高まってきた。 2)連盟加盟数の増加 やっと我が支部にも若い指導者が増加してきた。 大分市の中学校を中心に、女性を含めて、弦楽器の奏者や、声楽を学んで若手の先生が、進んで吹奏楽の指導を行うようになった。これにより、連盟に加盟する団体が増加しており、更に吹コンの参加数増加となって表れ、お互いにライバルとしての気概が火花を散らすようになり、激烈な闘志むきだしのコンクール参加となって混戦状態をつくりだしてきているのである。今や、戦国時代の一様相を呈したといっていいだろう。 高校の部においても、年々部が生まれ、加盟数が増加している。これはやっと高校現場の管理職に吹奏楽活動の何たるかが認識されてきたことへの表れであろう。その一つの例が、何十周年記念行事の一環に吹奏楽器を購入し部をつくったと言う話である。 大変嬉しい話であるが、一方、中学に比べて指導者の数が不足しているという深刻な現実がある。楽器は購入されたものの運営は専門外で、やむを得ず受けもたされている顧問教師が行い、演奏活動は生徒自信の手でと言う学校がかなりある。管理職は、楽器をとりあえずあたえれば、すぐにも演奏活動ができるものと思い、あげくに楽器は永久に楽器として使えるものと信じ、維持費の面倒などはまったく見ないという学校すらあるのである。 しかし、中学の時「火」をつけられた生徒は、高校においても更に燃え広がっていくだろうし、更にその中から指導者が生まれてくるのである。いや我々はむしろ育てなければならないのであり、この人材発掘こそ明日への大分支部を発展させる基になるのである。 今や、中学の熱気は、やがて何年かの先の、大分の華麗な吹奏楽活動となって花開くことであろう。 そういった意味で、今、大分支部はやっとそのサイクル回転の緒についたといえるのである。 3)アンコン参加数増加 アンコンに対する認識がやっと深まり、年々参加するチームの増加と一途をたどっている。 まだ、一校に対して出場制限はないが、今年度の参加数が総数合わせて90数団体になったことを考えると、二日制をとるか、出場制限にするか早急に決めなければならなくなった。 4)他団体との協調 吹コン・アンコン・フェスティバルの三つの行事について、高校の部では高文連(大分県高等学校文化連盟)、中学校では県音研(大分県音楽教育研究会)の共催をお願いしている。学校現場において吹奏楽が認識され初めているのも、案外、この二つの団体との提携が作用しているのかもしれない。 以上、このような事はとうの昔にすませ、今や隆々と発展している他の先進支部にしてみれば、何を今更との感が大でありましょうが、今の我が支部のこれが偽りのない現実である。しかし、遅々とした牛の歩みに似てはいるが、一歩一歩たゆみなく前進を続けたいと念願している。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全日本吹奏楽連盟創立50周年記念誌より(昭和63年) [ 大 分 県 ] ( 糸永 信義 ) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1.発足・結成の経緯 昭和41年に大分国体の開催が決定してから県下、特に別府・大分を中心とした中学・高校に吹奏楽部をつくる機運が高まり、行政の指導、国体開催に伴う補助金の交付等がきっかけとなり、当時入場行進に800人編成の吹奏楽団結成を目標とし漸次充実してきた。 そして、県としては昭和37年に第1回コンクール(西部吹奏楽コンクール県予選をかねる)を開催し同年9月9日に大分県吹奏楽連盟、西部吹奏楽連盟大分支部を結成した。 2.推移と活動状況 最初の昭和37年第1回吹奏楽祭はわずか14団体の出場であった。その後、昭和42年25団体、昭和43年29団体と徐々に加盟団体が増えたが、その後やや低迷が続いた。これは国体を目標に急激に活発な演奏活動が続いたため、国体終了とともにその反動としてやや情熱の欠如と指導者たち自身の活動に迷いが生じた結果にほかならない。 しかし、昭和50年頃から若い指導者が増えはじめ、大分の中学校を中心に女性を含めて弦楽器の奏者や、声楽を学んだ若手の教師たちが進んで吹奏楽に取り組み、自己研修をしながら団体の指導にあたるようになった。 これにより、加盟団体も増え、コンクール参加団体も年々増加することになる。 昭和52年は20団体であったが、その後徐々に増え、51年には37団体、60年47団体、今年度(62年)には49団体という大分県にとって過去最高の出演団体数を数えることになる(加盟も過去最高の61団体)。 それにつれてお互いのライバル意識が生まれ、コンクールの県代表権を目指して各団体とも並々ならぬ練習を続けることになった。 しかし、残念なことには県代表団体が九州大会へ出場しても上位入賞の壁は固く、昭和55年頃までは銀賞すら受賞できなかった。 その後、昭和57年度に大分高校が大分県として初の金賞を受賞して以来、各団体にも励みが生まれ、良い意味での競争心とライバル意識が年々演奏効果をあげ、かなり優秀な成績を上げる団体が増えた。 その中でも全国的に珍しい小学校部門で日田市立日隈小学校が70名の金管バンドで出場し、九州吹奏楽コンクールで金賞を獲得したことは県吹奏楽歴史に新しい1ページを加えたことになる。 そして、昭和50年以来のアンサンブルコンテストにも金賞受賞チームが続き、昭和62年度第13回九州アンサンブルコンテストに大分市立明野中学校サキソフォーン四重奏が金賞を受賞、さらに県勢としては初の九州代表の栄冠を手にいれた。これは大分県吹奏楽界にとってはたいへんな出来事であり、今後他団体、チームに及ぼす影響は多大であり特筆すべきことである。 県連の年間行事としては、毎年5月の総会、8月の吹奏楽祭(九州吹奏楽コンクール県予選をかねる)が中心であるが、その他に10月〜11月実施の県芸術祭参加の吹奏楽フェスティバルと実技講習会、課題曲研究会等が定例化され、年々参加者も増加の傾向にあり定着化してきた。 これに63年からは、今まで推薦出場であった九州マーチングコンクールの代表権も、県マーチングフェスティバルを実施し、県予選とすることにした。 特筆される行事としては、昭和38年の初の試みであったパレードと野外演奏会、翌39年の九州横断道路完成パレード、41年夏と秋に開催した大分国体、47年芸術祭の開幕行事として行った自作の県民吹奏楽演奏会、これを契機に翌年から会場を県内各地へ移して実施した県民吹奏楽地方版、50年のフェスピックへの協力演奏などは思い出に残る県吹奏楽史を飾る出来事であった。 また、昭和54年からOBS大分放送と協力主催行事となったマーチングフェスティバルは、8月の夜を彩る大分球場の名物行事として話題を県民に提供している。 なお、県吹連を円滑に運営するため、現在組織表を下図のように改革し、各自が責任をもって活動するように努力している。 (組織図) 3.現状と問題点 県下における吹奏楽の現状は必ずしも盛況であるとはいえないにしても、まずまずのまとまりと活気を呈している。 毎年のように言われる「県吹連に加盟してもコンクールに参加するだけでメリットがない」の声を解決するにあたっては、下記行事を確実に実施し、その中で連帯感と意識の高揚を図る以外にないとし、常任委員会を数多く開催し、たえず情報交換の場を提供しつつ、それぞれの役に責任を持って活動を推進することにしている。 1.連盟事業の分担と責任範囲体制の明確化 2.各種事業の整備と見直し、充実 3.広報活動の推進、会報の発行 4.他団体との連けい強化 5.その他 中でもブロック別講習会には特に力を入れ、セクション別に中央から指導者を招いて実現できる体制が整った。 このようにしても、他支部、県連に比べて加盟団体が少なく、九州大会参加にしても今一つ気勢があがらない。 今後は、未加盟団体の勧誘を啓発活動の重点事項として、現在小規模ながら金管バンドまたは吹奏楽部をかかえている団体・学校に強力な働きかけをつづけているところである。 4.歴代役員
5.現在の加盟団体数(63年度) 小学校 4団体( 3) 中学校 28団体(23) 高等学校 22団体(18) 大学 2団体( 1) 職場 3団体( 1) 一般 7団体( 3) 合計 66団体(49) ※( )内はコンクール参加数 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
九州吹奏楽連盟創立35周年記念誌より(平成2年) [ 大分支部 ] (支部長 糸永 信義) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
−昭和から平成へ− この歴史時代の転換期は、大分県吹奏楽連盟にとっても活動的でこれから先の飛躍を図る充実し期待する年であった。 1.講習会の充実 昭和63年度に大分高校の各教室を借りて、県内指導者によるパート別講習会を実施したが、意外に好評で第2回目の平成元年度は県内各地から小・中学生をはじめ高校生・大学生を含めて428名の参加者があった。ところがパートによっては人数が多すぎたり受講する側に技術の差があったりして指導者・受講生共に不消化の状態をきたしたので、平成2年度は入部して初めて楽器を持つ生徒のみにしぼったところ参加者は100名程度減ったが内容的には充実した。今後は指導者を増やして定着したいし、会場を巡回し県内各地域でも広く実施したい。 その他、楽器別に専門家を招いても実技講習会やマーチング講習会、NHKと協力して一流指揮者(山下一史氏)による指揮法のクリニックなどが参加者も多く毎年実施できる体制が整った。 2.課題曲講習会とディレクターズバンドの結成 学校の体育館で中学生・高校生をモデルバンドに現場教師の指導で実施していたが、平成元年度から大分文化会館に移し中央から指導者を招いて実施した。平成元年度は関西から丸谷明夫先生・平成2年度は埼玉から信国康博先生を招き、受講者も1300人近く参加し盛大であった。なお著名指導者を迎えるにあたり、県警察音楽隊を主体に県内学校関係者・芸短OB等で編成したバンドが定着してきたので将来は明るい。健全な運営を今後共続けていきたい。 県吹連としては、この機会にディレークターズバンドとしての体裁を整え、今後課題曲講習会は勿論のこといろんな形で県吹連発展のために活躍してほしい希望し期待している。 3.九州代表として全国大会へ 昭和63年度に小学校の部で日田市立日隈小学校が盛岡市での全日本小学校バンドフェスティバルに九州代表として出場、アンサンブルコンテストでは、昭和62年度に大分市立明野中学校サキソフォーン四重奏が広島で全日本大会へ、昭和63年度には日出町立日出中学校打楽器七重奏が福井市での全日本大会に出場して金賞受賞、続いて平成元年度には佐伯市立鶴谷中学校吹奏楽部が夏の吹奏楽コンクールで初の中学校の部代表に選ばれ(昭和50年度に職場の部大分県庁職員吹奏楽団が札幌での全日本大会へ)東京普門館での全日本大会で銀賞を獲得し、県吹連関係者はかってない快挙と意を強くした。このことがこれから先の県吹連発展と活動に大きな自信になるものと期待している。 4.県吹連今後の課題 県吹連としては、現在加盟団体数70数団体と低迷している。(徐々に増えつつある)特に小学校部門が4団体と少なく、その他を含めた未加盟団体への加入促進が早急の問題としての努力点である。運営面では、各常任理事の責任分野がはっきりし諸行事への協力体制が整い、経理の面でも各事業が確立定着してきたので将来は明るい。県芸術祭メイン行事への参加と吹奏楽フェスティバル定着へ目標達成へ向けて努力を傾注したい。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大分県吹奏楽連盟 30周年記念誌より(平成4年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大分県吹奏楽連盟の生い立ちは確固とした記録はなく定かではないが、昭和41年の大分国体にむけて大分・別府市内を中心に開会式に演奏する約800名を目標とした大吹奏楽団の編成にある。当時昭和36〜7年頃は先進地の国体開催県が派手に華やかに演奏し、その華麗な開会式の模様がテレビに写し出されて果たして大分で同じようなことが出来るのか?いやそれ以上負けない立派な大編成をしなければとあちこちでかまびすしく論議を重ねたものです。そして昭和37年に本母大二郎氏やアンドー楽器社長安藤擴氏、久末知氏、県庁の中野幸和氏、国鉄の榊久男氏、田所正義氏らが吹奏楽活動の実態を調査しながら昭和38年5月8日当時山香中学校校長の古屋敏勝氏を初代会長に推挙し大分県吹奏楽連盟が再発足した。(正式には昭和37年9月9日に結成された) 1.大分県吹奏楽コンクールの記録から 創立は昭和37年でこの年は大分県体育館で「第1回大分県吹奏楽祭」を開催し、中学校6校、高校4校、職場4チームの計14団体が出場。この時、全日本理事で延岡旭化成の指導者谷村正光先生をお迎えして「海兵隊」の合同演奏をしている。当時としては画期的なことではなかったでしょうか。なお、九州のコンクールには代表を送らなかったようです。九州コンクールには、それ以前に34年度第4回大会(熊本市立体育館)に中津中学校(指揮桑島哲先生)が出場しているが、恐らく自主出場で今考えると桑島先生率いる中津中学校は大分県吹奏楽連盟のパイオニアと言える。第2回から部門別に代表を送っている。課題曲が制定されたのは第3回大会(別府国際観光会館)からで、その曲目も今では懐かしい中学校が序曲「曠野を行く(石井歓)」、高校以上が「若人の歌(兼田敏)」でした(参加団体20団体) 九州吹奏楽コンクールも幾多の変遷を経て現在の形をとっているが第13回(大分7回)から第18回(大分11回)までコンクールがAの部・Bの部と2部制で大分支部からもそれぞれ代表を送り健闘している。以後Bの部は無くなったがいま、小編成のバンドを育成する目的から全国でもB・C、場合によってはDの部までも採用しようという空気がある。 なお、大分県吹奏楽連盟からの参加は、昭和40年−25団体、昭和45年−27団体、昭和50年−16団体、昭和55年−25団体と、この年度まで参加団体も少なく、やや低調の感もあったが昭和56年度から増加を続け、昭和60年度には47団体、平成2年度には55団体、平成3年度には68団体を数えるに至り従来の2日間では消化出来ずに3日間に延長することを検討するようになった。 2.コンクールにおける県代表の活躍 毎年のコンクールには県の予選を経て代表が選出される。各コンクール共当初は県内の著名な音楽指導者・教師を審査員にお願いして実施していたが、県内3人・県外2人計5人それに楽器別・作曲・評論等の専門性を考慮して依頼していた。昭和57年第27回コンクール頃から5名全員を県外から来て頂くようになり、最近はその範囲も関西域は1名については関東からも適任者がいれば依頼するようになった。 県代表の各団体もコンクールでは他支部に後れを取り、なかなか銀賞をとることすら至難な時期が続いたが、団体数が増えてお互いに研修する機会が多くなったせいか九州大会でその成果が現れてきた。 職場代表で、大分県庁職員吹奏楽団は昭和50年度に九州代表として札幌の全日本大会へ出場した記録がある。昭和63年度に日田市立日隈小学校が盛岡市での全日本小学校バンドフェスティバルへ初出場、昭和62年度のアンサンブルコンテストでは大分市立明野中学校のサクソフォーン四重奏が広島での全日本アンサンブルコンテストへ、昭和63年度のアンサンブルコンテストでは、日出町立日出中学校の打楽器七重奏が福井市での全日本アンサンブルコンテストへ九州代表として出場し、見事に金賞を獲得するという快挙を成し遂げ、県吹奏楽連盟の関係者は県連のレベルも九州で高く評価されるようになったと胸を張ったものです。 3.その他の活動状況 昭和56年10月25日(日)に西部吹奏楽祭大分大会(現九州吹奏楽連盟の前身)として大分文化会館で吹奏楽祭を実施し、県内小・中・高等学校の代表を始め熊本・福岡両県からゲストが参加しステージドリルもあって華やかな演奏会であった。 県吹連30周年の歴史の中で、最も大きな事業は大分県芸術祭の開・閉幕行事に参加したことである。開幕行事は昭和47年10月1日「県民吹奏楽」というタイトルで指揮者に武蔵野音楽大学のジェームス・バータル氏を迎え大分・別府を中心に特別編成のバンドで「交響曲新世界」第T、U、W楽章を演奏した。 閉幕行事では、昭和53年11月に大分大学田村洋彦氏に作曲を依頼し「大分を歌う」というタイトルであはり特別編成のバンドで場所は大分県立芸術会館であったが大々的に壮大な演奏会を行った。 開幕行事で成功をおさめたことが次年度から各地を回って吹奏楽フェスティバルを開催するきっかけになった。 また、昭和50年11月16日(日)には、大分県芸術祭参加行事として大分県吹奏楽フェスティバルを別府国際観光会館で開催、中学校の合同演奏があったり、「みんなでうたおう」のコーナーがあったりして楽しい演奏会であった。なお、次の年昭和51年10月31日(日)には、大分文化会館で第2回として大分県吹奏楽フェスティバルを実施、小・中・高・職場・一般の9団体が出場し、特に大分城東中学校は合唱クラブと吹奏楽で「タンホイザー大行進曲」を高らかに歌い上げ喝采を博した。 4.その他の連盟活動 5月初旬中学校・高等学校の新入生・初めて楽器に接触する生徒を対象にした「初心者講習会」は、学校の教室を借りて連盟役員を中心に県内演奏家を講師として昭和63年度から実施、毎回300名前後の受講生を集め定着し盛況である。 また、昭和63年度から始めた「課題曲講習会」は、平成元年度からは大分文化会館を会場に借りて実施、指導者も関西の丸谷明夫氏や埼玉の信国康博氏、千葉の加養浩幸氏など全国的に著名な現場の教師に指導をお願いした。平成元年には、県警察音楽隊を中心に県内教師・芸短大出身者などで「ディレクターズバンド」を編成したが、今後連盟の発展を図る上で重要な指導的立場になって欲しい。その他楽器別に実技講習会を開催したり、クリニックを企画したり、随時大分県吹奏楽連盟主催、または後援事業として積極的に取り組んでいる。その中でもNHK・合唱連盟と共催で始めた「指揮者セミナー」は、講師に若手指揮者で最近第一線で活躍中の山下一史氏を毎年迎えて実施しているが、内容の密度の濃いセミナーとして定着し現場指導者の期待を集めている。 5.これからの問題 九州吹奏楽連盟には1,222団体が加盟している。大分県吹奏楽連盟の加盟団体数(83団体)はその平均にも満たない。やはり、吹奏楽の活動を盛んにするためにもせめて100団体を目標にしたい。その方途として考えられることは現在小学校が4団体しか加盟していない。実際には金管バンドで日常活動している小学校も多数あるので、それらの学校に加盟するよう勧誘し共に活動するように促したい。また、他の部門にも未加盟団体があるので調査し加盟を奨めたい。 平成4年度に大分県吹奏楽連盟創立30周年を記念して大分県芸術祭の開幕行事を20年ぶりに実施するので、このムードを前回途絶えた「吹奏楽フェスティバル」の延長として継続開催出来るよう努力したい。平成3年度に県職場音楽連盟・県マンドリン連盟・現合唱連盟と県吹奏楽連盟の4者で「大分県音楽団体協議会−丹波登エフエム社長」が結成されたので異種団体の会合のようにあるが同じ音楽を愛する集団同志として行事を通じて理解しあい前進していきたい。既に今までに述べた事業や行事はここ数年で定着してきた。内容を見直しながら多くの人の意見を聞きながら常任理事会で充分論議して発展的に活動していきたい。 全日本・九州吹奏楽連盟が益々上昇気流に乗って充実している。県吹連も乗り遅れないように前進努力していきたい。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
九州吹奏楽連盟 40周年記念誌【20年史補輯(W)より】(平成7年) [ 大分支部 ] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1.過去を振り返って 大分県吹奏楽連盟の生い立ちは、確固として記録がなく定かでないが、昭和41年の大分国体にむけて、大分・別府市内を中心に開会式に演奏する約800名を目標とした大吹奏楽団の編成にある。 当時昭和36,7年頃は先進地の国体開催県が派手に華やかに演奏し、その華麗な開会式の模様がテレビに映し出されていた。「果たして大分で同じようなことができるのか?」「それ以上負けない大編成をしなければ…」とあちこちでかまびすしく論議を重ねたものです。 そして昭和37年に吹奏楽活動の実態を調査し、同年9月9日に結成した。創立の年に県体育館で「第1回大分県吹奏楽祭」を開催し中学校6校・高校4校・職場4チームの計14団体が出場、この時にはすでに7回を迎えた九州吹奏楽コンクールには参加しなかった。しかしそれ以前の第4回大会(熊本市立体育館)に中津中学校(指揮:桑島 哲)が自主的に出場している。 九州吹奏楽コンクールに課題曲が設けられたのは第9回大会でしかも別府国際観光会館であったのも思い出として記録に残る。この年の県大会の参加団体は20団体であった。その後、大分県吹奏楽連盟の九州吹奏楽コンクールの予選参加数は、昭和45年度に27団体、昭和55年度には25団体とやや低調気味であったが、昭和56年度からは増加傾向をたどり、昭和60年度に47団体、平成3年度には68団体、そして平成7年度は小学校と一般の部が減少したものの69団体を数え現在3日制を敷いている。 しかし、中学校の部は31団体と年々増えて1日では終了が夜8時過ぎになり、教育的配慮から2日間とし4日制にふみ切る時期が来た。 2.県代表の活躍 県コンクール予選には毎回5名の審査員をお願いしているが、当初は県内の著名な音楽指導者・教師に依頼していたのを楽器別・現場指導者・作曲・評論家等を考慮して、昭和57年度の第27回コンクールの頃から関西以西から、更に現在では関東地区からでも適任者がいれば距離に関係なく依頼している。一時は県代表が九州大会に出場しても銀賞をとることすら至難と思われていたが、昭和50年度の吹奏楽コンクール職場の部で県庁職員吹奏楽団が札幌市へ、昭和63年度に小学校の部で日田市立日隈小学校が盛岡市へ、昭和62年度にはアンサンブルコンテストの中学校の部で大分市立明野中学校サクソフォーン四重奏が広島市へ、昭和63年度には同じく中学校の部で日出中学校打楽器七重奏が福井市へ、更に平成5年度には同じく一般の部で別府湯けむりアンサンブル木管五重奏が名古屋市へ、平成7年度には吹奏楽コンクール職場の部で新日鐵大分製鐵所吹奏楽団が和歌山市へと、先進県程の数はないけれど実績を挙げるようになった。 3.創立30周年記念 平成4年度に大分県吹奏楽連盟は創立30周年を迎えたが、記念事業として大分県芸術祭の開幕行事を受けて、津久見市民会館で「吹奏楽の夕べ」と題して演奏会を開催した。高校・地元中学校の演奏に加えて目玉はジャズピアニストの辛島文雄氏をゲストに大分雄城台高校・大分東高校の吹奏楽部とガーシュイン作曲の「ラプソディーインブルー」を共演した。更に高校の指揮者辛島光義氏と文雄氏は実の兄弟で兄弟共演が実現したのも大きな話題となった。 また、11月14日には大分東洋ホテルで記念式典を挙行し、創立当時に功績のあった故古屋敏勝氏外9名に感謝状を贈呈した。また、記念誌の発行・テレホンカードの発売等も行った。その外大分県合唱連盟・大分県マンドリン協会・職場音楽連盟・大分県吹奏楽連盟の4者で組織している音楽団体協議会としての大分県芸術祭開幕行事参加「国際音楽の日」演奏会等にも演奏自体には加われないこともあるが連盟として参加し協力している。 4.現状と問題点 6月9〜11日の3日間大分で九州吹奏楽連盟主催の「九州マーチングセミナー」を開催したが、9日が普通日であったため県外からの参加者がほとんど無く県下の中学校・高校生を中心に180名の受講者が参加した。大分県吹奏楽連盟としては負担も大きかったが、県にとっては実り多い講習会でもあった。現状としては、研修会や講習会等は必ずしも満足のいくような運営が出来てないが、演奏技術の向上や豊かな音楽性を育てるという目的には少しずつ近付きつつあり若い指導者たちが年々力を付けてきたことが伺われる。毎回言われることであるが加盟団体数の増加・指導技術を更に向上するための講習会及びプレーヤーの演奏技術向上のための実技講習・指導者同士の情報交換や親睦交歓会等まだまだ内容を深めるべきことが多々あるが今後共取り組んでいきたい。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全日本吹奏楽連盟 60周年記念誌(平成10年) [ 大 分 県 ] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
推移と活動状況 昭和41年の大分国体に向けて大分・別府を中心に吹奏楽団が編成され、連盟ができたのが昭和37年。以来歴史を重ねて創立30周年記念式典を大分東洋ホテルで華やかに挙行したのが、平成4年の11月。他の県連の創立より歴史は浅いが、大分県連としては目覚しい発展を遂げてきた。 昭和37年に県体育館で開催した「第1回吹奏楽祭」は14団体の出場であった。九州吹奏楽コンクールに参加するようになったのがその年の第7回大会からで、その後、昭和60年47団体、平成になって、平成2年55団体、平成9年65団体と加盟団体の増加に従ってコンクール参加団体が増え、技術的にも音楽的にも向上してきた。さらには、他県に遅ればせながら、昭和50年、職場代表 大分県庁職員吹奏楽団の九州代表を始め、昭和63年の日田日隈小学校、平成元年の佐伯鶴谷中学校、平成7年の新日鐵大分吹奏楽団の団体が出場。アンサンブルコンテストでは、昭和62年に明野中学校のサクソフォーン四重奏、昭和63年には日出中学校の打楽器七重奏が全国大会に出場している。 県内の常時活動としては、全国大会につながる九州大会予選の外、秋に開催される大分県芸術祭の開閉幕行事・共催・協賛行事への積極的参加、5月初めの初心者講習会、6月の課題曲講習会が定着して、連盟の活性化と発展・技術の向上の大きな源泉となっている。 さらには、8月大分球場で開催する「マーチングフェスティバル」は、県吹連が協力する大きなイベントとして広く県民に親しまれ、平成9年には18回を数えるまでに成長した。 また、県吹連が地方文化の発展と良い音楽を若者を中心とした多くの人々に鑑賞して頂くことを目標に、平成7年から取り組んでいる事業に「大気分コンサート」がある。これは大分に気を入れたもので、素晴らしい音楽を聴いて「大気分」になろう、演奏家には満員のお客さんの前で「大気分」に演奏してもらおう、という願望から高校生以下は600円から、一般は950円の低料金で世界一流の演奏家たちのジャンルを問わずに、既に10回開催してきた。常に1,500〜1,800人のホール一杯の聴衆に感動を与える活動をしている。 なお、特筆すべきは、経費の不足分は県内の大企業・文化人からなる後援者会、企業・知識人・教師を中心とした六十数名の実行委員会、その他個人・商工関係者にも「大気分」でご理解頂き、400人近い協力者会が精神的・経済的に支えになってご支援・ご協力を頂いていることである。 現在の加盟団体数 小学校3団体 中学校40団体 高等学校30団体 大学3団体 職場3団体 一般23団体 合計102団体 平成9年度役員(H10.2現在) 会 長 糸永 信義 副 会 長 安倍 孝次 斉藤 哲哉 理 事 長 糸永 信義 副理事長 工藤 紘喜 岡村 隆夫 常任理事 本母大二郎 山本 勝彦 橋詰 正三 辛島 光義 宮邉 修 羽矢 宏嗣 廣川由美子 渡辺 俊治 川島 啓希 久保 一美 事務局長 上野 浩一 事務局次長 長野 薫 太田 宏子 監 事 堀 義孝 望月 和彦 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
九州吹奏楽連盟 45周年記念誌【20年史補輯(X)より】(平成12年) [ 大分支部 ] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現状と活動状況 大分県吹奏楽連盟ができたのは昭和37年、以来歴史を重ねて創立30周年記念式典を華やかに挙行したのが平成4年の11月、それから8ヶ月の月日が流れた。諸般の事情で創立35周年を式典で飾ることが出来なかったが、大分県吹奏楽連盟としては年々目覚ましい発展を遂げ、平成14年の創立40周年記念に向けて日々努力を重ねているところである。平成2年に55団体であった加盟団体も平成9年には65団体、12年度には107団体と増加し、各コンクール参加団体が増えて技術的にも音楽的にも向上してきた。九州大会では、他県に遅ればせながら吹奏楽コンクールでは平成11年には新日鐵大分吹奏楽団が、アンサンブルコンテストでは、中津市立豊陽中学校が九州代表として全日本大会に出場している。 県内の常時活動としては、全日本につながる九州大会予選の他、秋に開催される大分県芸術祭の開閉幕行事・共催・協賛行事へと積極的に参加、平成10年度に開催された「第13回国民文化祭・おおいた吹奏楽の祭典」では、日田市で県内外15団体の市中パレード、文化会館で県下中学、高校の合同バンド、職場・一般の合同バンド「宗麟ウインドオーケストラ」のほか、県外から9団体をお迎えして盛大に開催した。更には、特別ゲストとして「フランス国家警察音楽隊」を招聘したことも、大分県吹奏楽連盟の歴史に大きく記録される活動であった。また、国民文化祭を飾る事業として、作曲家の伊藤康英氏に依頼した記念創作曲「交響三頌"La Vita"」を大分市内高校生の合同バンドで演奏したことも特筆される。引き続き、平成12年4月に大分県民の森で開催された「第51回全国植樹祭」では、大分県警察音楽隊を始め新日鐵大分吹奏楽団、高等学校2団体の4団体が大会を盛り上げる主役の座を飾ったことも特記される。 8月には大分球場で開催する「マーチングフェスティバル」は大分県吹奏楽連盟が協力する大きなイヴェントとして広く県民に親しまれ、平成12年に21回を数えるまでに成長した。 大分県吹奏楽連盟が地方文化の発展と良い音楽を若者を中心に多くの人々に鑑賞して頂くことを目標に平成7年から取り組んでいる事業「大気分コンサート」の開催は、高校生以下は600円、一般は950円という低料金で世界一流の演奏家たちをジャンル問わずに10回の演奏会を開催してきた。常に1,500〜1,800人のホール一杯の聴衆に感動を与える活動をしてきたが、10年11年と全国的な行事が続いたため現在、新たな構想を練っているのが現状である。 ○当時の加盟団体数 小学校 3団体 中学校 42団体 高等学校 31団体 大学 2団体 職場 3団体 一般 25団体 合計 106団体 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
九州吹奏楽連盟 50周年記念誌より(平成17年) [ 大分支部のあゆみ ] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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